93歳の母を高齢者施設に入れている間に家・墓を処分してしまっていいものだろうか。母が入居して丸一日経過しないうちに家処分のことを不動産売買会社に依頼してしまった。
母はしきりに益田の家に帰ることができないのがつらいさびしいとこぼしていた。高齢者施設から益田に帰る可能性は0に近くてもまったくゼロではない。そんなと状態のときに、家も墓もきれいさっぱり処分してしまっていいのだろうか。
墓しまいは故人のためであり自分のためであり子孫のためであると納得して手続きを進めるということを長谷川裕雅『だれも継がない困った実家のたたみ方』家の光協会(2015)は言っている。理屈ではそのとおりなのだ。そのとおりなのだ。間違ってはいないと確信できる。
時間をおきたい。だらりだらりと実行を先延ばしして、刹那を楽しみたい。とはいえ自分にはそのグズグズをとがめてくれる子孫がいない。私がやるしかない。まあ、子孫がいたとしても彼らにやらせるのはむごいことだろう。