昨日はミスってしまった。いくら過ぎ去りし方を思いだすといっても、いやなことまで思い出して、ましてやそれを言語化しようとしたことは、まったくよくなかった。まさに不愉快物質が体内を流れてしまった。いけんいけん。そんなことをしてもなんら益はない。
楽しいことのみを思い出そう。
夏になるとお母さんに蝉取り網を作ってもらっていた。近所の佐々木屋(雑貨店)にも売り出されるのだが、お母さんの作ってくれる網は抜群なのだ。口が広くて太い針金でしっかりしている。そして網の胴が長い。クマゼミやミンミンゼミのような大型セミを捕まえても、くるっと網口をひっくり返せば、いったんとらえたセミを逃がすようなことはしない。
夏になると作ってもらっていたよねえと母に言うとなんとなく思い出してくれる様子はあるのだが、また作ってもらえるかと聞くと不安そうな顔をする。構造的にそんなに難しいものではないはずなのに。
近所には蝉取りするような小さな子供がいない。どの家も年寄りだらけだと母が言っていた。
昔は庭のこいのぼりを上げるんだということで大騒ぎだったという話をし始めた。隣町から嫁入りしてきた女の人が、子供をもうけて、その家でこいのぼりを一家であげるということは幸せの瞬間なのかもしれない。
我が家の鯉のぼりは紙製であった。のは覚えている。今はないナツメの樹のとなりに上げていた。覚えているのは、1年か2年くらいか。それが今どこにあるのか、今もこの家にあるのか、もう処分してしまったのか知らない。聞いてもいない。お母さんは隣町から嫁してきて、その役は果たしたけど、私は役を果たせなかった。鯉のぼりを無駄に保管させてしまったしょうもない長男なのだ。許して下され。
都屋も野村家も、私の代でつぶしてしまう。お母さんたちにはまったく申し訳ないことをしてしまつた。