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2022年9月 8日 (木)

9月7日 ひと月に一度くらい、広島に戻ってくる。1週間ぐらいの間広島で散髪、古文書解読同好会、食事づくりの勉強などをする。しかし、主な目的は私のひとやすみ、気分転換だ。

お母さんには直前になって「広島に戻ってくるけえ」と口頭で伝える。あまり前から言うと、日付を勘違いしてしまう。流し台に置いているホワイトボードに日付を書いておく。「広島に帰る」とは言わない、言わないようにしている。あくまでも益田に家に本拠地があって、広島は一時的なものだという表現にする。

実際に車に乗り込む段になって、母は、下の畑と庭で採れたぼっちゃんかぼちゃ1個とナス1本を持たせてくれた。そんなせんでも広島にいっぱいあるのにねえ。

お母さんはその間あの広い家で、ひとり暮らすことになる。食事は一人でつくることができると言い張っているがあやしい。後で聞くと変なもの、実に変なものを作って食べているようだ。うれしいこともあるらしい。私が広島に戻るといそいそとボランティアのОさんに電話して、買い物に出かける。おいおい。するなというものがいないから、好きなだけ草取りができる。風呂は給湯の方法がよく分からないらしく、入らずに済ませることが多い。週2回のデイサービスでは風呂に入れてもらえるので、それほどの執着はないようだ。だからデイサービスはさぼらずに行っているようだ。

1週間私がいなくてもなんとなくやってくれるような気がする。毎日夕方に様子窺いの電話をする。妹たちは週に一度だけど、私は毎日電話していたし、今回のように広島に帰っている間も毎日電話している。妹たちの電話が長いけど、私の電話はあっという間に終わる。

不安ではあるが、1週間私がいなくてもなんとかやっていけそうである。昔の職場みたいに、他県から赴任してきたような植木鉢課長や部長が1週間いなくても、部下たちはほとんど仕事に困らない状況によく似ているような気がする。

しかし、1週間私がいなくてもなんとかなるという状況がいつまでも続くとは限らない。心苦しい。幸せな期間ではあるのだ。

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