12月21日 面倒でも儀式をしておく
古文書同好会の先輩がしみじみ語ってくれた。毎年夏の暑いときに大変であっても面倒であっても墓掃除をやりおえたときは、安堵感やりおえた感があるんだよねと。
あっ、私は自分が面倒にならなくて済むよう、それだけのために実家の墓じまいをしてしまった。あやや。
遠く離れて住んでいる兄弟がわざわざやってくるのはたいへんだろうから、お兄ちゃんひとりでやっておくよと親切げに、仏壇じまいも墓じまいもやり終えてしまった。そうではなくて、足労をかけても、どんなに暑い時でもあって、家族で顔を合わせて大変な目にあっておくべきだったかもしれない。それが心の区切りをつけておくということなのかもしれない。
職場では面倒であっても、職員を集めて新年互例会をやったり、着任挨拶式をしたりする。そんな面倒なことをしなくても簡単な挨拶だけで済ませても実質何も不合理はないのに、わざわざ面倒な仕儀をさせる。それは面倒をする、それによって覚悟を迫っておくという意味があったのだろう。
今回の実家じまい、墓じまいにあたって、もう少し家族に面倒をかけておくべきだった。ちょっと反省している。もう取り返しはつかないけど。
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