8月6日 今日は原爆記念日だ。77年前、親父は宇品でこの閃光を見ている。私たち子どもに体験を語ってくれなかったことを今は感謝している。語られても困る。でも、そのとき日本国民としてどういう行動をとれば、あの悲惨のことが防げたのかは教えて欲しかった。
広島の自宅で、益田に移動する準備をしていたらサイレンが鳴り始めた。今日は8月6日。原爆記念日だ。広島の人たちは核兵器悲惨、核兵器廃絶と盛んに言っているが、悲惨さにおいては焼夷弾などの兵器も一緒だろうと思う。なして兵器廃絶、武力解決廃絶を言わないのだろう。私はずっと違和感をもっている。
核兵器だけを目の敵にして、兵器や武力により紛争解決のことに言及しないことに対する違和感があるけど、8月6日朝にサイレンが鳴れば、すなおな気持ちで黙とうする。広島に住んでいる以上は当たり前の行動だ。
77年前、今は亡き私の親父は宇品でこの閃光を見ている。真夏の朝に起こったとんでもないこと。それからのことを思うと言い知れぬつらさを感じる。その時の様子を私たち子どもに語ってくれなかったことを今は感謝している。語られても困る。仇討ちをしてくれと言われてもできない。でも、大東亜戦争に突き進んでいく日本国民は、どういう行動をとれば、あの悲惨のことが防げたのかは語ってほしかった。島根県に住んでいる国民では何をしても、何も変わることはないというのであれば、そう教えて欲しかった。なんとかしたいのであれば、山口県民になるしかないというのであれば、それに向けてなにかできる。知らない私たちのままなら、同じ失敗を繰り返すかもしれない。
広島市民、あるいは被爆者による平和運動はそれなりに意義はあると思う。しかし、武力による紛争解決そのものに反対しない限りは、核兵器よりも強力なキコ兵器や素粒子兵器に対してはどういう態度をとるのか、また、核兵器ほどではない殺傷能力をもつ化学兵器や生物兵器は容認するのかという問題が出てくる。
武力による紛争解決反対と言ってしまったら、広島の独自性がなくなるかもしれない。でもそこはきちんと押さえておくべきだ。
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