3月29日 母の高齢者施設入居をぐずぐす引き延ばして、益田での生活をだらだら続けたい気が少しづつ減少
家の片づけを少しづつやっている。物を処分することによって、片づけの実態を増やすと、少しづつ現実味を帯びてくる。今日の夕方は風呂小屋周りの樹を切った。庭木が少しずつ減っている。
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心の片隅では、母の高齢者施設入居をぐずぐす引き延ばして、益田での生活をだらだら続けることになるのかなあと、ちらりと思っていたりしていた。が。ここに三か月は状況が進展している。
母が嫌がっているからというのを理由にして、私自身が次のステップに進むのをおくらせていたいような気が少しはあった。
私は地域で頼られているから、益田を離れるなどという話をしたら、多くの人は引き留めてくれるんじゃあないかという期待をしていた。そんなことはありゃあしない。「あっそうですか」で終わりなことが多い。私がいなくてもみんななんとかやっていけるんだよ。まるで定年退職で去るときの広島大学附属図書館といっしょだ。私が定年でさっても、誰も困りはしない。あとのもの、まったくなんともなく、ちゃんとやってゆける。そういうもんよ。
私自身みれんなんかもたなくてよかつたのだ。今の状況といっしょなんよ、きっと。ナルク益田だって、きっと「はいそうですか」と言われるだろう。町内会だって、「はいそうですか」で終わりで、誰も困りはしない。山陰道鎌手保存会だって、「はいそうですか」で終わり。ほかの元気な年配者はたくさんいるし、若い人もどんどん参加してきているんだと思うよ。
もう、私自身が広島に移って、広島で友人知人はすくないけど、そんなこととは関係なしに、幸せになろうよ。お母さんが近くに住んでくれれば、それに越したことはないよ。
数日前の夕食の時、母とゆっくり話をした。家を閉じてしまうのは、申し訳なく思っている。こんなに江戸時代から続いてきたような家を私の代で終わりにしてしまう。ごめんと。
悪いことをして益田を去るのではないから心配しなくていいと母は言ってくれる。ありがたい。
いらいらして母に当たるのはもうすまい。すまいと思いつつ、ついイラっとしまう。
若い時であれば、息子というものは母親に反発しながら大きくなっていくもんだと自分に思い込ませたりするのだが、この状況になれば、母のことをもって思ってやらないといけないのだろうとも考える。
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