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2024年7月12日 (金)

7月12日 いよいよ入居、契約手続き中にひとり残された母は、トイレ照明スイッチが分からず不安になっていた

高齢者施設入居に必要な衣類掃除道具などを積み、母と家内を載せて軽自動車で益田を8時40分ごろ出発した。梅雨の最中であったがなんとか明るい曇り空。軽自動車であってもターボ車にしておいたのは正解であった。3人と生活用品の荷物を目いっぱい積んで、夏の坂道であっても力強く登ってくれる。クルマの操作に関しては若干の違和感あり。ブレーキ制動のときに、車重があるなあと感じた。小さなカーブを曲がるときに若干の後輪が外に膨らむかなと思ったが、勘違いかもしれないと思う程度。

母の乗車疲れを考慮して途中、多めにクルマを止めて休憩しようとしたが、緊張しているらしく、シートベルトを外して車外の空気を吸おうとはしなかった。私としてももう少し体をほぐして気分転換をしたかったが、早く着きたいという言葉に促されて、休憩は少なめになった。

広島に予定よりうんと早く着いた。昼ご飯を郊外の日本食店でとる。母の食欲は心配なかった。そのまま出発したのでは、施設に13時前に到着しそうだったので、途中、道の左側に止めて時間調整した。

13時半ごろ高齢者施設に到着、部屋に入れてもらった。

荷物を降ろしていると、契約書記入があるからというので部屋を離れた。その間は母おろしたばかりで開封していない荷物に囲まれて、ひとりで部屋にとりのこされた。

ケアマネジャやヘルパーとの契約を済ませて部屋に帰ってみると、母が半べそになっている。トイレの照明のスイッチが分からず、誰も周りにいなかったというのでとても不安に感じたようだ。そんなことの対応する満足にできない状態になっているのだろうか。

私と家内は電話機設置の手続きをするために広島駅近くのdocomoショップに出かけた。母がスマホや携帯電話を使うことができれば、こんな心配はしなくてすむのだが、しかたない。
docomoショップでは手続きに手間取って、開通にまでいたらなかった。高齢者施設に戻ってみると、もう、面会可能時間を過ぎている。無理をお願いして母に会いに行った。母は食堂で夕食の始まるのを待っていた。電話開通できなかったわびを伝えて、私と家内はいったん広島市内の自宅に戻った。

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