7月15日 カボチャの煮物をもっと作ってやればよかった
母はこの度入居した高齢者施設でちゃんと満足な食事をしているだろうか。どんなメニューがでているのだろうか。
ついこの間まで、私が作った芋の煮物、カボチャの煮物、具沢山の味噌汁をおいしいおいしいと食べてくれていた。もうそれが出来なくなってしまった。こんなことなら、もっと何度も料理してやればよかったと悔やまれる。
2006年に父が死去して以来、母はひとりで益田の家を守っていた。その間はひとりで暮らしていたわけだ。ひとり分の食事を作るのは大変だと思う。たしかに私が同居するごろにはいい加減な食事しか作っていなかったようだ。
やれば出来ると強がっていたが、現実には小麦粉を湯で溶いて団子にしてそれを味噌汁仕立てのようなものをしきりに作って食べていたようだ。袋菓子などもよく口にしていたようだ。ああ、申し訳なかった。
私が同居して4年間、食事は私が作ってきた。私が作るといってもにわか勉強してはじめた食事作りである。肉うどん、味噌汁、野菜の煮物、野菜炒めなどなど急きょ家内に教えてもらったものばかりである。
私は五十歳ごろ広島大学を転出して単身赴任したが、そのとき自炊をやってみようとしたことがある。包丁まな板なべフライパンを買って、料理本を買いそろえてやってみたことがある。うまくゆかず。ちっともうまいものができない。職場には学生食堂があるものだから、朝、昼、夕ともにそれをもっぱら利用した。料理はできないままに定年退職を迎えてしまった。
母の介護ということで益田市に単身赴任。にわかに覚えた料理を母に食べてもらった。そのうちに煮物料理は作るのがなんとかなり始めて、たまにはおいしいといえるものができるようになった。実際母にはうまいうまいといってもらえるようになってきた。
食べることが楽しみだ、おいしいといわれるとうれしくなる。
しかし、いまふと考えると、私が作ったお好み焼きや肉じゃがなどは、完食はしてくれたが、おいしいとは言ってくれたことがなかった。やはり未熟な腕だったのだ。
私が作った料理は写真を撮っておけばよかった。もうそれができなくなってしまった。
やはり高齢者施設入りは母のためにならなかったのかもしれない。
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