3月8日 屋号、家紋をどうするか
益田地方では家の称号として屋号を使うことが多い。苗字は誰にもあるが、屋号はどの家にもあるわけではない。我が家は「都屋」だった。どこかに登録してあるわけではなく、通称のような形で使われていた。さて、益田の家も土地も墓も処分したが、この屋号はどうしましよう。我が家には子供がいないので、家は絶えるということになるが、私、家内、ふたりの所帯というものははまだ存在している。
家を次の人に売るときに、都屋の焼き印こてをそのまま物置に置き忘れてしまった。買った人には不要のものだから、処分してしまわれるだろう。ああ、しもうた。広島に持ってくるべきだった。もう遅い。
「都屋」を広島でも名乗ろうと思う。住んでいる地域で明示するすべはないけど、使ってみようと思う。私の発信する情報には「都屋」の名前を使っている。ホームページのサイト名称、ドメイン名に使うことにより社会化しておこう。それぐらいのことかな。たよりない存在ではあるが。
「家紋」をどうするか。もう家は絶えるのだし、継ぐべきものがいないのだから、これは自然消滅か。しかたない。家の歴史だ。
夜分に失礼します。何気にネットサーフィンしていましたたら、野村さんのブログに来ました。確か、姉が野村さんと同級生?私は3学年下だと思います。現在、千葉県船橋市に妻と二人で暮らしています。
私は大谷地区の出身で、三年前に実家を処分しました。実家がなくなるとホッとした気持ちと寂しい気持ちが同居しています。複雑な心境ですが、鎌手のことを忘れないで余生を過ごしたいと思います。
投稿: 川﨑恭治 | 2025年3月16日 (日) 20時52分