« 4月15日 母が家の中で転倒して、救急車で運ばれて、そのまま入院。手術はしなくてすんだとはいうけど、けっこう大変な事態です。 | メイン | 4月17日 今日は益田赤十字病院にお母さんの肌着と、お母さんへの手紙を届けた。面会はできず。病院から月曜日14時の定時連絡があった。 »

2023年4月17日 (月)

4月16日 日赤病院から電話があり、肌着を届けてほしいという。「肌着」とは何をいうのか、出雲に住む妹に電話で聞いてみた。

日赤の休日受付窓口に水筒と糸ようじを届けた。ふたつとも家の中を探したが、見つけること能わず、水筒は新たに買い求め、糸ようじは私が使ってるうちの半分をビニル袋にいれた。

雨の中、クルマで行った。途中ガソリンスタンドに立ち寄り、灯油18リットルを買う。この数日寒いので、まだまだ必要だね。

ビニル袋に入れたものは受付で名前と内容物を受付票に書いて渡したが、手紙を持参するのを忘れた。面会ができないし、母は携帯電話を持っていないので、せめて手紙でも書いてやろうと思って準備していたのに、持ってくるのを忘れてしまった。

午後は鎌手公民館で古文書を読む会に出た。土田八幡宮の格式調べを読み、北浜八幡宮との関連を聞いた。

日赤病院から電話があり、肌着を届けてほしいと母が言ってるという。家の中を探してみるが、よくわからない。「肌着」とは何をいうのか、出雲に住む妹に電話で聞いてみた。

単身赴任介護と言っても、家事の大半は母がやってくれていた。そうじ、洗濯、家のまわりの掃除、ゴミ出し、里道の戸締り。背戸のごもくた片付け。これは大変だ。いままでのように呑気にやっておれない。

気分転換にと、村上家乗嘉永6年の1月16日以降を読み始めてみたが、この広い家にひとりでいるのかと思うと、気持ちが落ち着かない。母がいることによる安心がいかに大きかったか。そのおかげで私は好きができていた。

コメント

コメントを投稿