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2024年11月14日 (木)

11月9日 いい長男だと近所の人に言われたい

母がサービス付き高齢者向け住宅に入居して4か月になろうとしている。ときおり訪ねて行ってみるも、ちいさな部屋にじっとして、ときおり施設職員に対する不満を口にする。はあ、もう少し今の施設になじんで活動的になってくれないものだろうか。

入居前の4年間、私は広島から益田に移り住んで、母と同居した。食事を満足に作れない私に、そんなことができるか不安だったがなんとかこなせてきた。デイサービスに出かけるのを見送り、家の仕事をこなし、母の食事の世話をする。食事準備以外の家事は母がやってくれる。掃除洗濯食事の片づけ等々をやるが、その出来栄えはあやしい。生活をいっしょにしていると、不満もでくる。

月に一度くらい病院に連れて行く、たまの買い物につきあう。介護といってもそんなに大したことはない。寝たたりの母親を介護している同級生に比べたらはるかに楽をしている。

近所のおばちゃんたちと話をする。いままで地元に関係を薄くしていて、こんなときだけ、地元住民のような顔をするのは気恥ずかしいものだが、私はここで育っているので、なんとかなじめるし、事情も分かっているので話はできる。

そんな人たちが私のことを称して、いい長男だと言ってくれる。

私は、それがうれしかったに違いない。母は私の妹たちのことをよく話題にしてほめる。それだけでなく彼女たちの旦那のこともよくほめる。笑顔まじりに親しみをこめてほめる。それに比して、私のことはあまり言わない。家族の中の男をほめるのなら、私のことにもほめてくれと思う。私の妹たちが遠くから益田に来てくれたり、その旦那も伴って、あまつさえ、孫たちを大勢つれて益田にやってきてくれることも私にとっては苦痛だった。大家族が帰っていったあとも、母は私達夫婦のことをほめたりしない。おべんちゃら言うたりしない。言ってほしいと強くおもうわけではないが、それでも、ちょっとは言及してくれよとおもう。

私が広島から戻ってきて、母の世話をする長男ということで近所の方たちからほめてもらう。わたしのことをほめてくれるひとたちなんて最近はそんなにおらない。そんなわけで、その境遇を好ましいものととらえて気持ちよくなっていたのだろう。

大局を見誤ることになる。母の行動も少しずつ衰えていく。生活の基本的なところで出来なくなっていくことがある。洗濯機の操作がおぼつかない。ちょっとでも例外のことが起こると対処できなくなる。

そればかりではない。母を支える私たち長男夫婦の体制がいつまでも同じ出るわけがない。そのことに気が付いても気が付かないふりをしてしまった。

それもきっと、野村君はいい長男だと言われたかったから、それを演じつづけたのだろうと今なら思う。

人からほめられることを求めていると、きっと自分が大事にしていることを忘れてしまうかもしれない。自分が大事にしていることはほんとは大事なんだと気づこう。そうしている、大事なことを判断そこねるということに気が付かないでいる。

反省はするけど、じゃあ、それに気がついて、どうする。

ひとつ。いい子であることに重きを置かない練習をする。かっこ悪くても自分がかっこいいことをやつてみる。

ふたつ。大局を見る練習をする。それは無理だ。今までできなかったのだから。無理はやるまい。

みっつ。

もっと自分を大切にしよう。そう自覚しよう

。母のことも大事だけど、自分たちのことだって、それ以上に大切にちがいない。特定の、あるいはこれまでの常識にとらわれまいと意識するようにしよう。

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