1月7日 何も残さない
実家をしまうということは、何も残せないということだと気がついた。野村家があった形跡が残らない。それはどう理解すればいいのだろうか。
実家の周りに、売れ残りの若干の土地が残るので、そこに「野村家活躍の地」という石碑を建てようかな。いやいやそんなもの価値は少ない。地域にはそれを大事にしようとする人たちはいないので、地元の人たちの迷惑物体にすぎない。
ああ、どう理解すればいいのか。どう納得しておけばいいのか。
自治会集金常会の議事録に屋号が出ているので、そこには名前が残る。しかし、益田市誌に名前が残るような業績はないし、私の残り人生のうちにそれがなせるわけではない。
土地は他人名義になる。墓地はない。墓石すらない。あっという間に10年20年経過してしまう。野村の家のことを覚えている人がこの世からいなくなる。ああ、これはどう解釈すればいいのだろう。
コメント