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2024年4月18日 (木)

4月18日昔からの墓を閉じても、昔からの屋号都屋を名乗り続けたいという気持ちは何なんだろうか

野村の家、墓はなくなるとしても、私が社会にかかわっている限りは都屋という屋号は残したいと思う。広島で、あるいは広島在住で大浜の都屋を名乗るというのはどんな意味があるのだろうか。

広島で社会的な行動をしていることは必要だろう。直接的な行動でなくても、作家活動のようなことでいい。Youtube作家でいいし、ブロガーでいい。そんなときに、出身地でしか影響しないような屋号を名乗るのはどんな意義があるのだろうか。

屋号って何だろう。苗字と何が本質的な違うのか。考えて、考えていこう。

家、墓を閉じてしまっていいのだろうか。おそれおおいなあ。私ではないものがそうするのであれば、許してあげる。

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私は積極的な意味づけをしたい。なくなるから広島で細々名乗り続けるというのではなくて、誇り高く、世界に向けてメッセージを発信し続けるための道具して有効活用してみたいと考えている。

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