10月19日 先輩友人Mさん撮影のチャンス到来か
90歳の母と同居するようになって益田での生活が始まった。しかし、当地で友人との付き合いと言えるものはほとんどなかった。当然中学校時代、高校時代の同級生がたくさん益田に住んでいるが、例のコロチンのせいで、飲み会や集まりに出かけることはまったくなかった。
私はもともと社交的なほうでもなし、友達は少ない。
益田でずっと暮らしていた父は、仕事のつきあいや知人も多く、地域での役割も果たしているのでそれなりの人脈が多かった。葬式の香典もたくさん集まっている。父の亡くなった歳よりはるかに若い私にそれだけ香典は絶対にあつまらない。
いっぽう母の方はそれほど社交的とも言えず、気性も少々荒っぽいところがある。
母の行動規範、態度、気性については、近所の人たちが表現しにくそうに言っている場面もいくつかあった。母が苦手に思っている人は、私も苦手に感じることがある。
そうは言っても、益田で暮らすようになると、私の行動範囲、責任範囲というものを意識しなければならない時が出てくる。
母が苦手に思っている人に対しても誠実に明るく接していかなければならないし、実際にそんな行動もしてきた。人に間にたってもらって関係修復までもっていったこともある。わたしなりにつきあいの範囲はひろげてきたつもりだ。
近所の先輩Mさんは、大阪在住だが、毎月二週間程度益田に戻って山仕事をされている。数十年以上も前から気になっている存在であった。単赴任介護が始まってすぐのころ、思い切って彼に声をかけてみた。山仕事の弟子にさせてくださいと伝えた。それから時々話をしてくださるようになった。
毎月スケジュールして近くのレストランで昼会食するようにもなった。彼が書いているブログで、私のことを友人だと紹介してくださったときはとてもうれしかった。
山仕事のこと、墓じまいのこと、介護のことなどいろいろ相談できてとてもよかった。
あるとき、私がスマホの入ったカバンを海岸近くに置き忘れた。単身赴任先でスマホを失うなんて大変なことになる。そのかばんを犬がくわえて持ち去りでもしたら、私の生活はとんでないことになる。暗くなると私の視力は極端に落ちてしまう。夕方暗くなって、電話がないので、彼の家に直接駆け込んで助けをもとめたところ、気持ちよく一緒に探しに行ってくださった。もう、感謝感謝である。
私も彼のような生活をしてみたいと思っていた。月に一度益田に帰ってきて、山仕事、農作業っていいじゃない。私の場合なら、Youtube動画の撮影、編集三昧、いいじゃない。私の自由になる土地もある。好きに改造できる家もある。対象となる地域行事、風景たくさんある。山陰道鎌手保存会に行けば、古文書だって読める、いいじゃないかと思っていた。
4年間も益田に生活したのに、なしてそれができなくなったのだろう。私は彼より若いし、立場的には彼とほとんど変わらない。なのに、私ができかなった理由はなんだろうか。
熱意の欠如か。眼の病気のせいか。わからない。それにして残念でしかない。
彼には私のYoutube動画に登場してほしいと思っていた。先輩にあたるので少し遠慮があった。
19日の会食の後、山陰道の工事現場を見に行きたいと彼から言われた時、チャンスと思った。動画に撮らせてください。番組に出てくださいとお願いしてみた。了解もらった。絵コンテを書いて、セリフも考えた。マイクロホンも自由電しておいた。
しかし、その日は朝からひどい雨で、工事現場に行くのは無理になった。私はカメラを持たずに彼を迎えにいった。
ところがなんと、会食中に晴れてきたのだ。もちろん工事現場に行ってみたが、カメラの持ち合わせがない。ああ、なんという痛恨のミス。どんな時でもクルマにはカメラと三脚を積んでおくべきだ。悔やんだね。
撮影ができなかったのがあまりに悔しかったので、会食から帰り道、下種まで行ってみた。万寿大津波到達伝承地のひとつである下種のイワミ水のあたりに行ってみた。下見のつもりだ。近いうちにカメラと自動回転雲台、マイクを持ってこよう。益田に逗留できる日はそんなに残っていない。
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