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2024年10月20日 (日)

10月20日 Youtubeは私の大切な関心事

今日は私ひとりで益田の家のかたづけをしている。ちょっとしたスキマ時間を見つけて動画撮影に出かけた。というか益田に在住できる時間が少なくなるのではないかという危機感から思わず行動したといえる。

昼ごはんは半田麺をゆでて、しょうゆをかけて食べた。いちばん簡単にすませた。そして母屋と納屋の中央にバルサンをセットして家を出た。バルサンはゴキブリやムカデに有効だと友人のMさんに教えてもらったのでやっておくことにする。

まずは木部の沖田川ちかくの額田部蘇提売屋敷付近に三脚を立てて動画を撮った。万寿の大津波はこの川を遡上して種地区に達したはずだ。高速道路山陰道の大きな橋脚が立ち上がっている。今日は日曜日なので工事は休みでしずか。工事現場の近くで撮影ができた。

私がYoutube動画をアップし始めたのは2020年4月ごろ。そのごろ買い求めた軽自動車ホンダN-WGNのカーナビでテレビを見たかったので、広島のディーラーに聞いてみると、Youtubeを見ればその方法がわかると教えてくれた。
それで、Youtubeのありがたみを知り、そのお返しをしたかった。私の改造作業の様子を録画して動画を作ってみた。私とYoutuber活動の出会いであった。

その年の9月に単身赴任介護が始まった。9月から益田に移り住んで、母と暮らすようになった。

覚え始めた動画づくりと、変化した環境が刺激となったのか、益田を対象にした動画づくりを始めるようになった。最初は近辺の植物を紹介する「鎌手の動植物動百科」シリーズである。30年前に私が作ったウェブサイト「広島大学西条キャンパス自然史博物誌」の動画版のようなものだ。

動植物以外にも寺社や地学ネタも扱うようになって、「鎌手の動百科」に統一した。農作業や門松づくりのようなヒット作品が出来た。万寿の大津波復興千年祭というビッグタイトルにも巡り合えた。いけいけどんどんのYoutuber生活が始まりそうだった。編集スタジオを作り、機材をそろえ、動画制作も上手になりつつあった。
いいことは長続きしない。90歳を越えて、わずかに元気のなくなってきた母を広島の老人ホームに入れるとなった。そのために益田でのYoutuber生活を変化しはじめた。これに注力したかったのに。

20日、これが益田での最後の取材になるかなあと思いつつ、秋の陽がかたむきつつあるのに、下種(しもだね)まで足をのばした。文献では確認できていないのだが、この地区には船冠山、焼け舟、イワミ水という万寿の大津波到達伝承地がある。もっとじっくり調べてからカメラを持ち込むべきであったが、いかんせん残り時間がない。

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農作業をしておられる方がいたので、質問してみた。大津波到達の話は聞いたことがないという。千年も前の話なので知っている人は少ないだろう。このあたりは昭和58年7月の豪雨災害がひどかった地区である。復旧工事は終わっているので、地形は大きく変わっているはずだ。しかし、この地区の人は歴史学習に熱心なので、学習の拠点である種公民館を訪ねてみるのは有効だろうと思う。今後の課題としよう。とは言っても、もうここを訪問するチャンスはないかもしれない。

陽が傾いて、夕方の風が冷たくなりつつあった。三脚をたたんで、県道を戻っていたら、道路をまたぐように太い竹が倒れている。軽自動車ならぎりぎりくぐって通行できるかもしれない。このあたりの走っている路線バスは立往生するかもしれない。あたりはしだいにくらくなりつつある。あたりに街灯がない。私はいったん通り過ぎたが、知らんぷりして立去るわけにもゆかず、近所の家の玄関チャイムを押してみたが反応なし。

しかたないので、スマホを取り出し110番にかけてみた。向こうはすぐに私の位置を確認してきた。島根県道171号益田種三隅線、「龍光寺の近くですね、橋が見えますか」と聞いてきた。さすが警察の対応。

しばらくその場で交通整理をしようかとも思ったが、近所のおばさんが出てきたし、私の帰り道のことも心配だったので、その場を後にした。
Youtube動画づくりは私のおもな関心事になりつつある。さて、単身赴任介護が終わって、益田での生活がなくなったとき、これをどうするか。

さらに言えば、私は今後どう生きるのか、何をあきらめていくのか。私の人生問題だ。

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