今日は曇り。風がない、庭の古道具材木を処分するのてにちょうどいい。梅雨に入る前にやっておきたい。しかし、俗事を優先してはいけない。人との、そして自分との約束が先だ、同人誌原稿が先だ。これを片付けてから、他のことしよう。
最近では恒例の行事になった感がある。半年に一度、同人誌原稿書き上げ苦労の儀式がある。その時期におこった事件と原稿を書き上げる苦しみの時間がセットで記憶に残っているような気がする。少し前には可部近辺を訪ね歩いた。その前後の家庭事情の詳しい記憶は残っていないんだけど。思い出すとわずかながら充実感がある。
普段経験しないような充実感。ええんじゃあないの。昔から時々私のタイムラインにあったような気がする。
さあ、着手した。いっきに書き上げるぞ。pdfの完全原稿にしますと言い切った手前がある。がんばろう。もう一息。このせわしなさが快感だ。
同人誌に村上彦右衛門に関する短編小説を書きますと宣言して、半年のんびりしていた。気が付けば原稿締め切り日がやってきていた。しかし、締め切り日に間に合わず、編集長にしめきりを1か月伸ばしてもらっていた。そしてその1か月なんてすぐに経過してしまう。
まるっきりうっちゃっておいたわけではない。気にしながら少しずつ書いていたし、親の介護でちょっとだけ忙しかったのも事実だ。理由にはならんけど。
泥縄で小説の書き方本を探していた。新井一樹『シナリオ・センター式物語のつくり方』がよさそうだ。全面的に頼ってみよう。Audibleで聴了した。よしやってみるぞ。延長してもらった締め切りは7月1日。きついなあ。もう再延長は言えないし。がんばるしかない。
古文書解読同好会が7/6(土)にある。この日には編集長と顔を合わせることになる。締め切りがきつい。がんばるしかない。
母の通所介護でお世話になっているケアマネージャが面談に来られた。思い出話を聞き出している中で、母が一言「子供の頃、ねえさんが欲しかった」ふだん目にしたことがないようなしみじみした語りだった。そんなことを思っていたなんてびっくり。そもそもいつ頃の話なのだろう。母は5人兄弟の長女、下に妹ひとり、弟二人いる。
もうすぐ老人施設入居だ。どんな気持ちで日々過ごしているのだろう。ちっともわからない。93歳になるまでこの家で過ごして、わずかな荷物をまとめてこの家を出ていく。もう二度と帰ってくることはないだろう。気丈な母だ。泣き言を言っているわけではないが、どう思っているのだろう。ちっともわからない。残りの日々、私が悪く言わないよう気を付ける。言い争いをしないよう気を付ける。
アマゾンのオーディオブックAudibleで池田清彦『専門家の大罪』を聞いた。血圧降下剤を飲んで血圧を下げると必要な血液が全身に行き渡らない可能性があると指摘しいた。網膜の毛細血管にいく血液が減っているのかもしれない。先日来の血圧測定では毎朝120前後が出ていて、ちょっと血圧下げすぎかな危惧していた。この本を聞き読みした機会でもある。津田医院で処方されている血圧降下剤アムロジピンOD5mgをしばらくやめてみよう。
お母さんも毎朝7粒の錠剤を飲んでいる。私もいっしょに飲むようになって、これは多剤なんとかになるでとこの間から思っている。自分の体のことだ。自分でためしてやろう。
身体の調子がいいから処方された薬を飲んで、調子が悪いから止めてみるというのも妙な話だが、妙でもよろし。私の身体だ。
5月になってしまった。また同人誌の原稿締め切りの月になった。半年に一度出すものだから、けっこうせわしない。
書こうと思っていてなかなか実現していない「村上彦右衛門日記」を書いてみたい。読んでくれる人の顔を思い浮かべることができる。古文書解読同好会の仲間が読んでくれて、そしてクスっと笑ってくれるだろう。
安政2年6月15日の住吉祭の彦右衛門家を書いてみよう。西暦だと1855年7月28日だ。広島は蒸し暑いだろうけど、川風は気持ちよくなっている。幾三郎4歳だっかな、彦右衛門家の若党に連れて行ってもらう。彦右衛門の家では4歳の男子は若党に手を引かれて住吉祭にでかけることになっている。ここで男子ひとり旅を経験するのだ。28日ということは月は出ていない。夜道は暗い。けど住吉祭りでにぎやか。なにかが起こりそうで、起こらない広島の夜。
いいね、いいね。夕刻、平和公園のところにある大きな寺の境内を通り抜けていく。広島の子供たちが蝉取りに夢中になっている。蝉取り網を家小にねだったが、作ってもらえなかった。
この日の同好会資料は昨夜見つけておいた。参考資料18だ。読み込んで、周辺情報を集めよう。この日は東城家では給与の支給日だ。米価の変動についても、読者にわかるように説明してみよう。彦右衛門の性格を詰めておく。下女の名前は家乗にはでてこないが「おたま」にして、小太り陽気な性格に設定しよう。
忙しいんだけど、なんとか6月最初の締め切りに間に合わせよう。
三部作を想定しておく。第二部は家小、慈君の夜外出が面白くない話。第三部は彦右衛門さん怒りまくって若党を雇止めにしようとした話。これでいよいよ郷土作家デビューだ。
お母さんをショートステイに預けて、その日のうちに広島に移動。8日間ほど広島で過ごす。その間益田の家は無人になる。そうなると、動き出す奴らがいる。ねずみ、ゴキブリ。ああ、しかたないんだろうな。
ショートステイの終わる前の日からこの家には人の気配が出る。それまでわがまま放題に走り回っていたネズミが人間の存在に戸惑っている。
ああ、いやだなあ。ねずみほいほいを買ってきて設置した。いやまてまて、これにねずみが捕まってしまったら、どうすればいいのか。ああ、見たくない。かと言って放置はできない。台所に2セット設置。ああ、どうしよう。
中を見ずにそのまま庭に埋める、あるいは燃えるゴミとして出す。ああ、それもいやだなあ。結局、庭で他のゴミと一緒に焼却処分した。ああ、いやだなあ。もう、二度と買うまい。ネズミ君たち出て来ても、知らんぷりしよう。このことを家内に報告してもいいもんだろうか。言われてうれしく思うだろうか。悩みは尽きない。
ふとん引っぱり出し、出雲の娘にすぐきてくれ電話の件を担当のケアマネージャに相談すべく、居宅介護支援事業所に電話してみた。
今日デイサービスに行っているお母さんに特に変わったことはないという。でも、担当のケアマネージャの人は5月6日まで休みだという。世の中ゴールデンウィークだもんね。
特に急ぎの電話ではありませんとは電話に出てくれた職員には伝えたが、これで終わったのでは子供の使いになるので、いちおう、昨日起こったことについては伝えておいた。ばたばたしたけど、落ち着いて終わったことも伝えておいた。
家族が自分の責任で対応すべきなのだが、一律ゴールデンなのでと言われても。FULLでなくてもいいので、休日対応のなんらかの仕組みを作っておくとか、してほしいなとは思った。
広島に移るのはそんな先の話じゃあないけえ、もっていくもの準備しときんさいやあ、ここにリストがあるけえと言って渡しておいた。
しばらくして、そのリストに書いてあることがわからんわからんと言ってくる。リストの最初にあって「防炎カーテン」がいけんかった。眼の焦点がどこにいってしまったような表情でわからん、わからん。今日から始まった宅配弁当に対しても不安に思い始めたのだろう。これまで続いていた通所介護所から配食弁当は4月いっぱいで終わりですとされたのも不安材料になったのだろう。
押し入れからふとんをひきずりだし、縁側にならべはじめる。聞いてみてると、懇意にしている便利屋さんに処分してもらうといいだす。おいおい。
あげく、何を用意、どうしたらいいかわからんので、娘に電話すると言い出す。その電話だって、手が震えて、電話帳スイッチがまともの押せず、なかなか娘の名前にたどり着けない。左手を添えて右手を固定すればいいものを、右手を宙にうかせたままでスイッチを押そうとするものだから、そりゃあ2度押しになるわいね。
電話のあと、すぐ妹に電話して事情を説明。
お母さんには、広島に行くのはずっと先のことじゃけんと伝えたら、表情がすっぅぅと落ち着いて、しゃべりも安心したようになった。