2023年4月18日 (火)

4月18日 時間が足らない。自分の生活を反省してみる。しなくもいいことをしているから時間が足らないのだ。やらなくてもいいことを考えてみた。

母の入院で生活のテンポが変わってきた。これまでのように好きにしておられない。掃除も洗濯も家事も全部こなさなければならなくなった。まあ、呑気な介護だったわけだ。

半年に一度出してもらっている同人誌に時代短編小説を投稿する準備もしていたが、これもちょっと予定が違ってきた。編集者に問い合わせして、ぎりぎりの締め切りを教えてもらうことにした。あらすじはできているし、現地取材もほぼ済んでいるので、後は筋書きをきっちり詰めて、書き始めるだけだ。

それにしても時間が足らない。自分の生活を反省してみる。しなくもいいことをしているから時間が足らないのだ。やらなくてもいいかもしれないことを考えてみた。

優先順位の低いものからリストアップすると
①無駄なSNS視聴、ながらSNS視聴(Youtube,TikTOK,facebook)
②夜の飲酒
③写真塾・・・目が出そうにない、私がやらなくても誰かがやる。ああ、でも写真教室の先生はやりたいな

まずは他人のYoutube,TikTOKを見たり、ながら視聴することをやめにゃあだめよ。そこだよ、きっと。その次に夜の飲酒。これもガンだよ。諸悪の根源だ、きっと。

2023年4月17日 (月)

4月17日 今日は益田赤十字病院にお母さんの肌着と、お母さんへの手紙を届けた。面会はできず。病院から月曜日14時の定時連絡があった。

今日はさらりといい天気。居間のこたつを上げて、布団を2時間ずつ日光にあてる。終わると畳んで、納屋の押し入れにしまい込む。お母さんがやっていたことだ。入院したばかりなのにこんなことをやってはよくないかなと思いながら、悔しくて作業する。

洗濯ハンガーも買ってきた。お母さんのために買った洗濯機を使ってみた。乾燥を設定する方法がわからなくて、取説を取り出してみた。明日からは上手にやろう。

燃やすゴミのごみ出しもやってみた。極小袋がなくて困った。

昼はレトルトの親子どんぶりを食べた。ひとりだとなかなか自分で作る気になれない。

採集岩石標本の片づけも少し進んだ。「鎌手の地学散歩」は今後ある程度のところまでいくだろうか。お母さんが入院してしまうなんて想定外だ。

今日は益田赤十字病院にお母さんの肌着と、お母さんへの手紙を届けた。読んでくれるかなあ。

病院から毎週月曜日14時に定時連絡があると言うので、ナフコの駐車場でしばらく待ってみた。14時15分になっても呼び出し音はならない。家に帰ることにする。家でこちらから電話してみる。やはり忙しくてできなかったという。次回からは月曜日の14時から16時の間にということにしてもらった。

病院からの連絡は次のとおり。痛みはあるが、波がある。ご飯はちゃんと食べている。夜は寝ている。リハビリはまだベッドの上でやっている。昨日ナースコールをせずにベッドを離れたらしく、無断でベッドから離れたらナースセンターに知らせるセンサーを取り付けられたそうです。入院してわずかなので、まだ今後のことはまだ判明しないとのことでした。治療方針の変更はないが、もしあれば担当医師から連絡がある。

お母さんに会えないし、声が聴けないのでつらい。

紺野写真塾欠席のLINEをした。LINEで参加させてくれるか、データだけでも送れるようにしてほしいが、ちょっと無理なお願いなのだろうね。そんなことのできる写真塾の先生をめざそう。

4月16日 日赤病院から電話があり、肌着を届けてほしいという。「肌着」とは何をいうのか、出雲に住む妹に電話で聞いてみた。

日赤の休日受付窓口に水筒と糸ようじを届けた。ふたつとも家の中を探したが、見つけること能わず、水筒は新たに買い求め、糸ようじは私が使ってるうちの半分をビニル袋にいれた。

雨の中、クルマで行った。途中ガソリンスタンドに立ち寄り、灯油18リットルを買う。この数日寒いので、まだまだ必要だね。

ビニル袋に入れたものは受付で名前と内容物を受付票に書いて渡したが、手紙を持参するのを忘れた。面会ができないし、母は携帯電話を持っていないので、せめて手紙でも書いてやろうと思って準備していたのに、持ってくるのを忘れてしまった。

午後は鎌手公民館で古文書を読む会に出た。土田八幡宮の格式調べを読み、北浜八幡宮との関連を聞いた。

日赤病院から電話があり、肌着を届けてほしいと母が言ってるという。家の中を探してみるが、よくわからない。「肌着」とは何をいうのか、出雲に住む妹に電話で聞いてみた。

単身赴任介護と言っても、家事の大半は母がやってくれていた。そうじ、洗濯、家のまわりの掃除、ゴミ出し、里道の戸締り。背戸のごもくた片付け。これは大変だ。いままでのように呑気にやっておれない。

気分転換にと、村上家乗嘉永6年の1月16日以降を読み始めてみたが、この広い家にひとりでいるのかと思うと、気持ちが落ち着かない。母がいることによる安心がいかに大きかったか。そのおかげで私は好きができていた。

2023年4月15日 (土)

4月15日 母が家の中で転倒して、救急車で運ばれて、そのまま入院。手術はしなくてすんだとはいうけど、けっこう大変な事態です。

母が家の中でつまずいたらしく、日赤病院に救急車で運ばれた。買い物ボランティアの人が見つけてくれた。町内会長さんが救急受付で私が広島から帰ってくるまでずっと対応してくれた。私が益田の日赤病院に着いたのは13時半ぐらいだった。

とりあえず1か月入院の手続きをしてきた。以降面会禁止だと言う。毎週月曜日の14時に容態を電話連絡してもらうことにした。

なしてこんなことになってしまったのか。救急車で運ばれたので靴がないという。そのほかに櫛・手鏡、マスク、薬あるだけ全部、コップを16時半ごろに届けた。

妹たちに連絡。面会禁止ではどうこうできない。

それから食事、とはいっても弁当を食した。お茶も沸かさず、味噌汁も作らず。これからのひとり生活が思いやられる。

急にこんなことになって、こんなことは起こらないだろうと呑気に構えていたが、いざ起こってみると何をどうしていいのか見当がつかない。

止めなきゃあいけんことも、できなくなってしまうこともたくさんあるだろうなあ。

2023年4月14日 (金)

4月14日 短編時代小説「流れ材木」を書こうとするも、なかなか大変です。パソコンに向かってタイプしていると、目がしょぼしょぼしてくる。原稿用紙手書きにしようかな。

昼から近所の牛田バラ園に行った。ここのバラは5月連休明けに開花するように剪定されているということだったので、今日は花が少ないだろうと予想して行ったが、まったくなかった。見事。ホソバカラスノエンドウが咲いていた。今季初認記録だ。ナミアゲハも見た。これも今季初認記録だ。それだけでもうれしい。ハマナスは咲いていた。これはバラであっても、剪定による開花時期調整が難しいのかもしれない。

このことを情報共有すべく、Twitter, facebook, エンジョイブログに書いた。しかしGoogleリアルタイム検索、Yahooリアルタイム検索、Bing検索で見てもちっともヒットしない。なしてだろう。

調べてみると、どうやらフォロワー数の少ない人の書き込みはリアルタイム検索の対象にならないようだ。さみしいなあ。フォロワー数が少ないこと自体もさみしいが、そのことが自動的に検索対象から外されることもさみしい。ひどいのはBing検索だ。「牛田バラ園」で検索すると、2014年更新の牛田バラ園公式サイトがトップに表示される。それって違うでしょ。私の今日の3媒体、3件の記事がよほど大事でしょ。無視される。それが分かっただけでも、いいか。

短編時代小説「流れ材木」を書こうとするも、なかなか大変です。パソコンに向かってタイプしていると、目がしょぼしょぼしてくる。原稿用紙手書きにしようかしら。
ウォンツのポイントカードをポケットにいれたまま洗濯機でぶんまわしてしまった。カードがボロボロ。新規発行ではなく、ポイント復活発行を希望してお店に行ったが、バーコードのないカード切れ端ではそれはできないという。ウォンツのレシートはありませんかと言われた。それがあれば、再発行できそうだ。つい最近家計簿をつけるのをやめたタイミングで、レシートをすぐに捨てるようになっている。あああ。でも探してみよう。あるかも。あればカード復活できるかも。

エプソンのプリンタに純正の黄インクをセットした。「インク充填中」のメッセージが長いこと出た。正常印刷にもどった。エプソンのプリンターは互換インク使用者に対して、プログラムでいじめをしているのではないかという疑惑がぬぐえない。信用できないなあ。つくづく。とてもイヤな気分になっている。もう二度とエプソンプリンターを買わないと思う。

牛田バラ園の開花状況

牛田バラ園は5月連休明けに開花するよう剪定されているらしく、今日4月14日は花がほとんどありませんでした。 #牛田バラ園

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2023年4月13日 (木)

4月13日 八木村旧記諸控帖より六三郎、幸作兄弟の流れ材木を題材にして時代短編小説(原稿用紙20枚)を書こうとしている。今注目されているChatGPTに、私の書いた450文字のあらすじを与えて、小説を書かせた。答えがいいね。

八木村旧記より六三郎、幸作兄弟の流れ材木を題材にして時代短編小説(原稿用紙20枚)を書こうとしています。450文字のあらすじを書きました。そして今注目されているChatGPTにあらすじを与えて、小説を書かせました。指示は「会話を含めて、軽妙で、小学生でも読める、活き活きとした生活が伝わってくる、明るいタッチの4000文字程度の時代小説にしてください」とした。

776文字の回答だった。頓珍漢なところはあるが、なかなかいいぞ。私のあらすじと、ChatGPTへの指示を工夫すれば、もっといい回答をしてくれるかもしれない。

ChatGPTが書き出した文章を私の文章としてもいいのだろうか。そのまま使ったのはだめだろうけど、一部手直ししたからといって、それが私の文章になるか疑問だ。そして、10%手直ししても、それは私の文章とはいいがたいかもしれない。

どうすりゃあいいんね。

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2023年4月12日 (水)

4月12日 夕食後、ソファに寝そべって、ナイターテレビ観戦。益田ではこんなことができない。92歳の母がこたつのいちばんいい場所でうたたねしながら、テレビを独占している。私はそばを過ぎて、事務所にいくしかない。

朝は雨が降っていたが、しばらくすると止んだ。風は強かったが、午後は天気よくなったので出かけた。まず郵便局に行って、株益を受け取る。4,622円だが、これだけでもうれしい。そのあと牛田早稲田神社に向かう。

春の花はだいたい終わっていた。桜、梅、カリン、桃。今年の春はちょっと逃してしまったようだ。おさいせんを投げ入れて、ふたりでならんで柏手。こんな日々がいい。

散歩から帰った後は、夕飯までの間、短編時代小説の構想を練った。

天保5申年5月1日は西暦6月7日。それに合わせた天候記述。場所は可部町の中屋地区。ここは八木村の飛地。ここに住む八木村の六三郎(47)おとなしいが有能、自信がない、女房おかつ(40)社交的、姉御肌、弟幸作(40)やんちゃ、気が強い、分家なので貧乏。将来明治維新で活躍する。庄屋の甚右衛門(68)物知り、世話好き。
中屋に住む幸作に疑惑浮上、高宮郡のものと仲が悪いがための中傷で疑われる。兄六三郎、甚右衛門の尽力で疑い晴れる。幸作のふだんから善行、太田川の表情、自然を織り交ぜながら、来る明治維新の動乱を予感させる小さな出来事をつらねる。

これをまず動画でラフスケッチほ作って、それから文章を起こす。ここまでのシナリオを作った。同人誌6号の締め切りに間に合わないかな。

夕食後、ソファに寝そべって、近頃初めてのナイターテレビ観戦。益田ではこんなことができない。畳のリビングにテレビがあるし、こたつのいちばんいいところで母がうたたねしながら、テレビを独占している。私はそばを過ぎて、事務所にもどるしかない。事務所にはパソコンはあってもテレビはない。

でも、せっかくのナイター観戦。今夜も勝てば6連勝になるという試合だったが、テレビを見始めてからずっと中日にやられっぱなし。結局2対5で負けた。テレビ中継も試合も午後9時前に終わった。せっかく家内とふたりソファにならんでみたのに・・・。夜の風はナイター観戦にはまだ寒いが、まあ、球春到来と言ってよい。

2023年4月11日 (火)

4月11日 八木村旧記の短編小説を書くのに、まず動画で草稿を作ってみたい。取材に出かけた。

八木村関連の動画を撮りにでかけた。まずは玖村駅近くで太田川向こうの八木村を撮った。今日は風が強く、風切り音をばんばんに拾っている。しかたないね。自動回転雲台のバッテリも切れていた。その雲台は、いつも車に積んでいるので事前確認しようがなかった。

芸備線3連トンネルの向こうに行って、三脚を据えた。太田川端を通過する可部線の227系電車が通過するのを撮った。

可部のジュンテンドーに行って、単三乾電池3本買い求めた。取材先でバッテリ切れに気が付くとは不注意でした。

続いて昨日クルマを止めた昭和シェル可部SSの裏にクルマを止めて三脚を据えた。ここでも風が強い。買い求めた電池を入れて、自動回転雲台を回した。これではEOS60D + 24-105mmを回すのはちとつらい。

そのあと安佐市民病院のそばを抜けて、太田川漁業組合の赤レンガ建物のそばを通過し、橋をわたり、協和鉱業の採石場に行ってみた。八木村旧記で、露頭を見ながら、兄が弟にうんちくを語るという場面をやりたいと思ったが、とてもそんな生易しいもんではない。強烈な壁が目の前に出現している。おおっ。すごい。

協和鉱業を取って返して、八木上水の取水口でクルマを止めた。阿武山登山口の標識がある。そばにはマムシグサの小さな株が杉林の林床に生えている。それを確認して取水口を見に行く。録画する。

16時ぐらいになると、今日の撮影行は疲れてきた。帰る。立体駐車場にクルマをいれてすぐ、理髪店に電話して予約。家に戻らず、そのまま直行。

2023年4月10日 (月)

4月10日 中国新聞で短編小説の賞をもらうことや、インタビューを受ける場面を想像する。どんな場所で、私の服装は、どんな経歴、動機を語るのか、考えるだけで楽しい。

今やってみたいことを楽しくやっておきたい。定年になって、コンピュータづくりの毎日やりたいと思っていても、その時になってみれば、視力がたらなくなり断念ということがあった。厳しく反省。やりたい時にすぐやる。いつか暇になったらではだめ、もうそれは知っていなくては。

古文書を学んでいるだ。チャンスなのだ。時代短編小説を書いてみたい。LINE仲間にも書きますと宣言してしまった。

今日益田から広島に移動する途中、可部によってみた。八木村旧記を今読んでいるが、実は可部町にも八木村が飛地としてある。中屋郷という。そこの六三郎、幸作兄弟の話を先日読んだばかりだ。飛地であること、兄弟であることをとらまえて、小説にしてみたい。

中国新聞で短編小説の賞をもらって、インタビューを受ける場面を想像する。どこで、服装は、どんな経歴、動機を語るのか、考えるだけで楽しい。まずは作品なのに、周辺のことを楽しみにしてしまう。それもいいんではないのかな。

太田川の土手にクルマを置いて、可部町の中屋地区を歩いてみた。住宅街だ。風は心地よい。文教大学裏の山が見える。福王寺山も見える。高松山も見える。鳥の声はしない。家の間を歩いていて、方向を見失っても、ふと上を見げれば、阿武山が見えるので川の方向が判明する。

現地の空気を吸ってみれば、なんとなく時代小説が書けそうな気になってくる。ほんとはそんなに甘くないんだろうけど。短編時代小説『流れ材木』著者:野村正人 話の筋、登場人物、エピソードを詰めていこう。いやあ楽しみだ。草稿をYoutube動画にしてしまうのもありかもしれない。