2025年2月 6日 (木)

2月6日 実家のたたみ方まとめ

そういう状況になりつつあるときは「何か悪いことをしているのではないか」という不安におそわれるものである。田舎の実家を引き継ぐ意志がないのであれば、早めに着手するのが自分のため、家族のため、社会のためである。実家のたたみ方をまとめておく。
(1)企画、5年以内の大まかな工程を描く
 おおまかでいいので、方針をだいたいきめる。
(2)名前を決める。インターネット検索して、一般的なキーワードを決める
「実家をたたむ」「実家じまい」など、決めて、今後の記録、文書のタイトルにする
(3)説明、説得、納得
兄弟、親戚、家族に説明、説得して納得してもらう。時間をかけてゆっくり
(4)所有する土地、建物をリスト化する
登記簿入手して現地を歩いて確認
(5)預貯金などの財産をリスト化する
(6)戸籍、家の歴史などを明確にする
戸籍、過去帳、墓石に書いてあることを文字化してタイプする。納得する。
(7)家の祭祀を文字化しておく
法事、祭り、地域の祭りなど文字化しておく
(8)できる範囲でインタビューしておく
家のことで知らなかったことがある。関係者に聞いてあきらかにしておく

(9)実家をたたむ上で参考になるブログ、Youtubeを調べる。それらで参考になったのであれば、自身でブログ、Youtubeで発信して共有すすめるもよし

以上の項目は順番ではない。同時並行ですすめるといい。

2025年2月 4日 (火)

2月4日 ふきのとう、サンシュの開花、1年前はそんな生活

何気なく1年前の日記を開いてみた。庭のサンシュユのつぼみが大きくなっている。庭のふきのとうが出始めている。天ぷらにしたとある。ああ、そうだ。一年前はそんな生活をしていたのだ。それに比して、今はなんと都会なんだろうか。
 母の食事を用意したとはいえ、実質は自分の食事を作っていたのだ。満足な料理をしたわけではない。キヌヤで総菜を買ってきて、それプラス味噌汁を作っていたにすぎない。洗濯をしていたとは言え、母のぶんまでやっていたわけでなく、自分のものだけだもんね。家の掃除は、母が満足にやっていないのを知りつつ、私はしていなかった。立派なことをやっていたわけではない。

 ああ、でも季節、季節。楽しくやっていたのだなあ。そんな生活を切り捨てて出て来てしまった。それでほんとによかったのだろうか。

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2025年1月30日 (木)

1月29日 仏壇じまいで片付けたもの

7月12日母の老人ホーム入居。その後益田の家の片づけを少しずつ進めた。10月17日仏壇じまい・墓じまい法要、10月21日仏壇撤去。寒くなる前、日脚が短くなる前にこれらを済ませたかったので、この日程になった。墓石撤去は立ち合いがいらないということなので、日程は石材店にお任せで、益田の家を離れた。

仏壇じまいと墓じまいの法要は野村家の菩提寺である西楽寺に依頼した。参列したのは私と家内のみでそのほかの家族は呼ばなかった。後から考えるとこの点がちょっと後悔。
仏壇の閉眼供養の様子はGoProで撮影した。後で母に見てもらおうと思ったが、それは実現せず。
供養の後、仏壇まわりの片づけを西楽寺の御院家にお願いした。仏壇にはたくさんの抽斗があるし、仏具もある。点検してもらった。
折本タイプの過去帳は事前にスキャナで読み取ってpdf化しているので、西楽寺に持って帰ってもらうことにした。繰り出し位牌の中に18枚の札板があった。これは過去帳に記載するもとの札だというので、私が持って帰ることにした。後でスキャナで読み込んでpdf化し、テキストにしよう。
お数珠、線香ろうそくの在庫分、は西楽寺に持ち帰ってもらうことにした。小さな骨壺は、西楽寺の納骨堂にいれてもらうべく、持って帰ってもらうことにした。
神棚まわりは、後日の仏壇撤去のおりに仏壇といっしょに片付けてもらうことにした。

2025年1月24日 (金)

1月24日 11筆の土地が売却できなかった

 今回の実家じまいで、売却できなかったのは次のとおり。山林が1筆、墓地が1筆、あと固定資産税は払っているけど、どこにあるのか私が知らない土地が8筆、その8筆のうちいくつかは母が案内できるかもしれないが、私を連れて行ってくれるだけの体力がないだろう。数年前、現地を案内してくれたことがあったが、私は理解できず、そのままにしてしまった。またいくつかは、荒れ放題のため現地に行くことができないところがあるだろう。
これらについては、今年も固定資産税の請求が来るであろう。もうどうしようもない。どれほどの金額になるのか楽しみに結果を待つしかない。
これらをどうするのか。また市役所に行って相談するしかない。

司法書士・行政書士隆事務所より訴訟事件に関する委任状を出してくれという。根抵当権設定登記抹消登記手続き請求事件で、相手方4名だ。これに今回売却する不動産の登記済権利証(登記識別情報通知を含む)を送ってくれという。だいたいは見つかったが見当たらなかものがある。事務所に電話してみようと思ったら、明日から土日なので、電話は月曜日になってしまう。

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根抵当権抹消手続き3筆に合わせて農地法第3条の許可申請も、長い付き合いの司法書士・行政書士事務所に依頼した。ブログやYoutubeのネタとして、あるいは勉強のために自分でやってもいいけど、この後繰り返しに発生するものではないので、専門家に依頼することにした。

2025年1月20日 (月)

1月20日 電気を止める

実家じまいにともなう不動産売買契約が完了した。成し遂げたというよりは、こんなことしてよかったのかなあと今更ながらに思う。益田の不動屋さん店舗で手続き。実家には立ち寄らずだった。もう家の鍵は渡してあるし、私が立ち入ることできない空間になってしまっている。庭や畑の草はどうなったかなあ。
買主さんには初めてあった。よさそうな人たちだ。私よりはるかに若い。これから益田での人生が始まるのかなあと思うとうらやましくさえある。

契約のために益田にいたのはほんの数時間、すぐに広島に戻ってきた。もう帰るべき実家は益田にはない。なにもない。

実家じまいにともない、一部の家屋について電気を止めるよう言われた。電気料金領収書のはがきを手元において、中国電力カスタマーセンターに電話した。
月曜日朝イチバンの電話だったが、0120番号で、込み合っていますしばらくお待ちください」状態であったが我慢して待つ。
電気を止める理由を尋ねられるかと思い、準備していた。家を売却して買主に電気を止めておくように言われたので止めてほしい。通電をいつ再開するのかわからない」などという内容をメモしてかおいたが、なんのことはない。止めてください」に対してはいそうですか、すぐに止めます」の一言だった。思いのほか簡単。

さあ、いよいよ事態は動き始めた。
近所の友人にLINEで状況を知らせた。町内会長に次の人が入ることを連絡した。私の親戚にも状況を簡単に連絡。私の妹たちにもおおまかを連絡。彼女たちの生まれ故郷というか、育った家を処分してしまったのだ。申し訳ない気持ちは若干あったけどそれほどの感慨はないようだ。安心。

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2025年1月16日 (木)

1月16日 家の売り方

たとえ自分が育ったところであっても、家や畑を売ろうとするとどうやっていいかわからないもの。そんなときはインターネットです。

最初は益田市の空き家バンクの相談に行くといいです。空き家バンクの条件に適合しなかったら、地元の不動産業者を紹介してもらいましょう。

次はハトマークサイトにアクセスして、益田市にチェック入れて物件を一覧してみます。おおよその相場、条件などが分かります。その物件を扱っている不動産業者もわかりますので、実力がありそうであれば、コンタクトしてみるといいと思います。
媒介契約は複数業者と契約することもできます。それは不動産業者と相談です。

私の場合は、次の2店に相談しました。

不動産サービス大畑事務所 
島根県益田市あけぼの西町8-12 
0856-22-4745

両見石油店
島根県益田市木部町イ116-2
0856-27-0069

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1月15日 海が見たい

海が見たいと思った。ついこの間までの生活であったら、玄関を出て右方向に歩きだせば日本海が目の前に広がる。水平線を確認し、舟の姿を探す、波の状態を知る。雲を見て数時間後の天気を予測する。
着替えて、カメラをバッグに入れて歩き出せば30分もかからずに海岸に立つことが出来る。大谷港であれば砂浜の海岸がある。もうすこし歩けば岩の海岸に出る。風を判断し、波の表情を確認する。何もしなくていい、見ているだけでいい。

海を見たいと思ったら、すぐに実現できる生活を失ってしまった。松江時代であれば、50ccの原付バイクに乗ってさっと恵曇に行けばしっかりとして本物の日本海がある。
徳島時代、自転車に乗ってちょっと徳島空港目指してゆけば、太平洋ではないけど、内海みたいな海岸にたどり着く。

年に2回、正月と盆に数日滞在するような故郷を全部失ってしまった。もうあそこに家も畑もない。電話機すらない。たまに電話してみることすらできない。家の電話番号ないんじゃもんね。

益田市内の国道9号線を走れば、ごく近くを通行することができるかもしれない。しかし、立ち寄る場所がない、無くしてしまった。この寂寥感は何だろう。

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2025年1月 8日 (水)

1月7日 何も残さない

実家をしまうということは、何も残せないということだと気がついた。野村家があった形跡が残らない。それはどう理解すればいいのだろうか。
実家の周りに、売れ残りの若干の土地が残るので、そこに「野村家活躍の地」という石碑を建てようかな。いやいやそんなもの価値は少ない。地域にはそれを大事にしようとする人たちはいないので、地元の人たちの迷惑物体にすぎない。
ああ、どう理解すればいいのか。どう納得しておけばいいのか。

自治会集金常会の議事録に屋号が出ているので、そこには名前が残る。しかし、益田市誌に名前が残るような業績はないし、私の残り人生のうちにそれがなせるわけではない。

土地は他人名義になる。墓地はない。墓石すらない。あっという間に10年20年経過してしまう。野村の家のことを覚えている人がこの世からいなくなる。ああ、これはどう解釈すればいいのだろう。

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2025年1月 2日 (木)

1月1日 元旦は老人ホームにおせち弁当持ち込んで会食

おせち弁当、ドライフーズのたまごスープ、木製のお椀3個を持参して、母の入居している老人ホームへ行った。私たちの住んでいる家の近くなので、自転車に乗ってのんびり出かける。新年早々日差しが強く、快適な自転車行だった。とはいっても途中の歩道には初もうでらしき家族ずれたくさんで、にぎつ神社や東照宮ふきんを通り抜けるのに時間がかかってしまった。約束の時間におくれるのではないかと少しやきもきしてしまった。

当初は老人ホームの食堂を貸してもらうつもりだったが、ホームの都合でテーブルと椅子を廊下の端に用意してもらった。

ほんとは母を家までつれてくればよかったかもしれないが、連れ出す自信がなかったので、ホーム内での会食になった。

地元のスーパーに注文したおせち弁当は豪華ではあったが、味付けが少々濃いめ。私たち夫婦と母、小さい子でもいれば賑やかだったろうが、地味な会食になってしまった。メニューに餅がなかったのは残念。

こんな簡単な会食で今年が始まった。

2024年12月29日 (日)

12月29日 不動産の登記情報を知る

昔だったら、不動産の登記情報を知るには、法務局に出かける必要があった。しかし今はインターネットの時代である。
登記情報提供サービスを利用するのが便利である。利用時間に制限があるが、法務局に出かけるよりはるかに便利である。


1.まず自分の土地の地番を知っておくこと。固定資産税課税通知書で知っておくこと。

2.登記情報を知ったら、地番それぞれの登記地目、課税地目を確認しておく。

登記地目には、畑、田、山林、宅地などがある。課税地目には原野、山林、公衆用道路などがある。

畑、田は要注意だ。これは自由に売却、譲渡が出来ない。農地権利移動の農業委員会への委任状が必要になってくる。

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