2022年7月24日 (日)

7月23日 この家の主は91歳のお母さんだ。家の中のことは彼女が思い通りにしている。私が家具や道具の置き場所を変更しても、いつの間にか戻している。私が自由になるのは玄関脇の使用人部屋だけ。

青い海、湿気の少ない風、横に長く連なった入道雲。梅雨明け・夏休みはじまりを感じさせる今日の天気だった。

いまだに図書館の夢を見る。年代は下っ端時代もの。集書係で物品請求命令書の内訳書を書いたり、図友会の旅行に行って集合時間に遅れたり等など。目が覚めても覚えているものだから、しまつが悪い。楽しい場面ではない。40年前のことだよ。図書館という職場に戻ることは絶対にないのに、なしてそんな夢を見て、冷や汗かいて目を覚ますのだろうか。

古文書解読同好会で分不相応な頼まれごとを引き受けてしまったので、ここ数日それにかかわっている。人事というのはちょっと無理なことを引き受けるぐらいがいいとわかっているが、それにしても大変だ。

今日は関連する資料を和綴じ製本してみた。手製の木箱に紙を入れて、板で押さえつけて、端に6つの穴をあける。穴あけは電動ドリルなので難しくはないが、それでもその作業自体は戸外に出て、軒下でやる。暑いし、作業台があるわけではなので手元が安定しない。こんな時は工房が欲しいなあとつくづく思う。

今日は和綴じを5冊ほどしあげた。なかなかいいね。手慣れてきた。表紙は筆ペンで黒々書き上げる。

家のリフォームは無事終わって快適に過ごしているので、私の工房のために、第二次リフォームの図面をそろそろ引いてみたい。しかし、この家の主は91歳のお母さんである。家の中のことは彼女が思い通りにしている。私が家具や道具の置き場所を変更しても、いつの間にか戻っている。私が自由になるのは6畳一間の使用人部屋だけ。

2022年7月23日 (土)

7月22日 お母さんはデイサービスに行くのをやめている。いったいこれって何なのか。日本の優秀さはどこにいってしまったのか。感染症の専門家、政治家の専門性を発揮してほしい。そんな日本になってほしい。

防災放送網で連絡があった。鎌手地区今年の十七夜祭は中止にするという。明日のことだよ。

流行り病の感染者が多いと言っても、もう三年目だよ。アメリカのオールスター戦を見るとマスクをしている人いません。ヨーロッパの陽性者数の報道ありません。いったいどうなっているのだろう。

日本の行政や科学政策は優秀だったはずなのに、なんちゅうことなんでしょうか。

お母さんはデイサービスに行くのをやめている。いったいこれって何なのか。日本の優秀さはどこにいってしまったのか。感染症の専門家、政治家の専門性とはいったい何なのか。日本中がこんなことをやっていて、いつまでやるつもりなのか。第7波だという。第17波ぐらいまでいけばなんとかなるのだろうか。

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2022年7月22日 (金)

7月21日 1週間ぶりの益田の家。台所をみると洗い桶やらふきんが無造作に投げてある。冷蔵庫開けてみると、まともに食事を作った雰囲気はない。まあ、これから私が少しずつ修正していくさ。

益田に戻ってきた。都会ではない。ここでの生活がまた始まる。友達はあまりいない。お母さんはそんなに機嫌よくない。なして?

夕飯の準備ができて、仏壇にお礼して、いざ食べようと思ったら、電話がかかってきた。私の妹からだ。木曜日に電話してくれる。あ母さんは活き活きとした声で話す。うれしいのだろう。私は待っておれない。ひとりで食事を始める。

わたしがもっとべんこつよく、おべんちゃらよく会話をすればいいのだろうけど、むすっとしているものだから、妹と話しているときの態度と明暗差あり。

1週間ぶりの益田の家。台所のかたづけは完ぺきではない。洗い桶やらふきんが無造作に投げてある。好きな暮らしをしてきたのか。冷蔵庫開けてみると、まともに食事を作った形跡はない。まあ、私が少しずつ修正していくさ。

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2022年7月21日 (木)

7月20日 毎日夕方、益田の母に電話をする。たいした内容ではない。天気のこと、大相撲の勝敗、食事の内容、来客のことなどを聞くぐらいで会話はすぐに終わってしまう。「早よう帰ってきてくれぇのう」と言われると申し訳ない気持ちになる。

1週間の里帰りがもう終わる。実際には前後の1日は移動日なので、広島でゆっくりできるのは5日間だ。その間に病院、散髪、写真塾、古文書解読同好会などをこなす。

広島にいる間は、食事準備の心配をしなくて済むのは嬉しい。まるで嫁に出した娘の里帰りのようだ。ああ、明日からは毎日、3食いかにしようかと考える日々が始まる。得意科目ではないので、ちょっと憂鬱。まあ、自分の分もあるので逃げてばかりおられない。

広島にあっても毎日夕方、益田の母に電話をする。たいした内容ではない。天気のこと、大相撲の勝敗、食事の内容、来客のことなどを聞くぐらいで会話はすぐに終わってしまう。「早よう帰ってきてくれぇのう」と言われると申し訳ない気持ちになる。

明日は帰路の途中にある美都温泉湯元館で、からあげ定食を食べよう。お母さんは私の帰りを待っているかもしれないが、お母さんのもとには弁当が配達されているはずだ。電話で何度も確認しておいた。そうしないと、私が帰ってくるということだけが思考にあって、昼ご飯を食べずに待っているかもしれない。そんなことが最近あった。

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2022年7月20日 (水)

7月19日 今日は写真塾の日。久々に仲間の人たちに出会い、作品を見せてもらった。朝、雨の中、歩いてクレドビルまでいったら、ズボンやシャツが濡れてしまった。でも写真家は雨の中きょろきょろしながら行くんです。

赤い花の写真は難しい。デジタル写真では赤がうまく再現できない。赤い花はなぜかベターとなってしまう。どうしたらいいか、参考書にも書いてない。教えてくれる先輩もいない。写真塾の先生は撮らない方がいいとまで言われる。

こうなれば数多く撮って、苦労して、自分なりの結論を出すしかない。苦手だった水彩画を集中的に50枚描いて、ブログにアップして気がついたことがあった。この成功体験を活かそう。赤い花の写真をとりあえず百枚撮り、アップして何らかの結論を見つけよう。

というので、今年の5月14日から赤い写真を撮り、ブログ( https://miyakoyaphoto.exblog.jp/ )にアップしている。いままでに23枚あげてきた。まだ手がかりがつかめない。早くしないと彼岸花の季節になってしまう。

どう撮ればいいかを見つけたい。ヒントだけでも見つかればよい。

今日は写真塾の日。久々に仲間の人たちに出会い、作品を見せてもらった。

2022年7月19日 (火)

7月18日 長そでのシャツを2枚買ってもらった。いい色のシャツが見つかった。帰りはさすがに道に迷うことはない。ははは。

まるで梅雨のような天気が続く。気象台は梅雨明け宣言を出すのが早すぎたんではないのかな。花や滝を見るためのお出かけはできないから、つつましやかに近所でお買い物と思って出かけた。車庫から車を出すとき雨が降り始めた。

なんと府中町のイオンモールに行くのに道を間違えてしまった。こんな簡単な行先なのに。ぐるぐるまわって水分峡の近くまで行ってしまった。おいおい。

長そでのシャツを2枚買ってもらった。いい色のシャツが見つかった。帰りはさすがに道に迷うことはない。ははは。
 
益田に戻ってプリントアウトしてもよかったのだが、雨の予報にもかかわらず降っていなかったので、時間活用ということで、近所のコンビニに行く。

古文書関係の文書で百ページ越えのものがあるので、これをまずpdf文書にして、USBメモリに入れる。セブンイレブンに行くとマルチコピー機というのがあるので、これにUSBメモリステックを挿入して、pdf文書を印刷できる。家庭にあるインクジェットのプリンタで出力するよりははるかにきれいで、早い。

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2022年7月18日 (月)

7月17日 広島駅の地下通路は場末感がただよう。壁につけてある写真はコントラストの弱い薄汚れた印象の観光案内写真。蔦屋家電に行くにもいったん外に出なくてはならない構造。広島駅周辺は未だに工事が続いている。いつまでも終わらない。

 暑くてしようがないが、家にばかりいてもつまらないので出かけることにした。まず部屋にたまっているプリンタインクの使用済みカートリッジを広島市社会福祉協議会のロビーにある箱に入れる。こんなものでもなにかの役に立てばうれしい。そのあと同じビルにあるビックカメラで三脚を探す。蔦屋家電にも行って三脚を探す。いいのがあれば買ってくることを決めて出発。
 
 16時くらいになっていたが、自転車で出かける。駅前の自転車置き場に預ける。100円の駐輪料金。しようがない。けちってもしようがない。ビックカメラの店からエレベータを使って5階に行こうとして行き先ボタンを押しても「その階は止まりません」とメッセージが出る。他のエレベータを探しても同じだった。ビックカメラの店員に聞いて、5階に行くことのできるエレベータを教えてもらった。店の外に出て、ビルの周囲を進んで違う入り口から入ったところにあるエレベータを教えてもらった。
 しかし、そこでも5階のボタンを押しても反応せず、しかたないので6階を押してみたら点灯した。6階から5階に階段を使っていけばいい。6階に降りてみると、なにやら雰囲気が変。狭い通路を進んで、1枚の張り紙をみつけた。第三日曜日、社会福祉協議会は休みだという。なんだよう、早く言うてよ。
 使用済みカートリッジは結局ビックカメラでボックスに入れた。三脚を物色するもいいのがない。縮長が50センチ以下、レバーロック式、3段、クイックシューでないもの、雲台取り外し可を探すが、いいものがない。
 店を出て、地下通路を通って、蔦屋家電に向かう。これが広島駅の地下通路とはとても思えぬような場末感がただよう。壁につけてある写真はコントラストの弱い薄汚れた感の観光案内写真。蔦屋家電に行くには階段を上がっていったん戸外にでなくてはならない。広島駅周辺は未だに工事が続いている。この辺りはいったいいつまで工事を続けるつもりなのか。

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 蔦屋家電で三脚をじっくり探す。いいのが2、3あったが、詳しく検討するためにカタログをもらって帰る。結局買わなかった。まあ、そういう買い物の仕方も楽しいものだ。

2022年7月17日 (日)

7月16日 体重に関しては2010年、なんと佐賀大学に勤めていた当時からの記録が手元にある。そのときも単身赴任で、食習慣が悪かったのか、体重が増えていた。80キログラムを超えてしまいそうになっていた。

体重と血圧は単身赴任先で毎日測定すればいいのだけど、現実は月に一度広島に戻ってきたときに測っているだけだ。
 
体重に関しては2010年、なんと佐賀大学に勤めていた当時からデータを持っている。そのときも単身赴任で、食習慣が悪かったのか、体重が増えていた。80キログラムを超えてしまいそうになっていた。そんなとき、上司であった事務局長と飲みの席で、1年間で72キログラムになったら、1万円分の食事をおごってやろうということになった。それからが、測るだけダイエットの日々である。
 
その賭けは見事に達成できたのであるが、局長が異動してしまい、御馳走してもらうことができなかった。
 
起床直後の体重変化を見ると、まさに日々のストレスを反映している。見事なぐらい。

10年以上のデータをグラフにすると、時代との関連が見つけにくくなるので、ここでは過去4年分のグラフを作ってみた。

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単身赴任介護を始めた1年くらいは体重をぐっと下げている。ストレスだったのだろうか。ちょっとやばいくらいの下げ方だが、最近は反対の意味で持ち直しが危ない傾向が見える。

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 血圧についてもグラフにしてみた。エクセルのグラフはどうやって作ったらいいのかよくわからない。昔だったらマニュアルを読み込んで行く意欲があったが今となっては安直に出力してえやあと、早々にあきらめる。根気が続かない。

2022年7月16日 (土)

7月15日 広島に戻ってきた。広島では嫁に出した娘みたいな扱いをしてもらる。食事の用意もいいからいいからと言われて、私があまりしなくてもいいように言ってくれる。食べたいものを教えてくれとも言われる。私も益田での料理を教えてもらう。

 月に一度広島に戻ってくる。散髪、古文書解読同好会、病院などの用事を済ませる。介護と言ってもそれほど深刻な状況ではないので、その間は母をひとりにしてしまう。

 広島に戻ることを母に伝える時は「広島に帰ってくる」とは言わない。「広島に戻ってくるけえ」という。帰るという表現をしないようにしている。心づかいだ。

 反対に広島から益田に戻るときも、家人には「益田に行ってくるから」という言い方をするようにしている。こっちに本家があるのだから帰るなどとは言わないように気を使っている。

 広島ではまるで嫁に出した娘みたいな扱いをしてもらる。食事の用意もいいからいいからと言われて、私があまりしなくてもいいように言ってくれる。食べたいものを教えてくれとも言われる。私も益田での料理を教えてもらう。まるで嫁に出した娘のような待遇だ。ありがたい。
 

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2022年7月15日 (金)

7月14日 月に一度かかりつけ医にいって薬を処方してもらう。飲み薬は朝4種類、夕1種類がある。飲み薬は院外薬局で1包化してもらう。朝の薬、夕の薬があの硬い薬品包装硬質ビニルから取り出されて、ひとつの袋に入っている。

 月に一度、母を近所のかかりつけ医に連れていく。予約ではないので、よさげな時刻を選んで出かける。朝いちばんは多いだろうし、10時ちょうどでは送迎タイミングの関係で患者は多いだろうと読んで、いつもは9時20分に我が家を出発する。車で行くので5分くらいで着く。

 今日は10時20分出発にしてみようと母が言うので、そうしてみた。いろいろやってみることは大切だ。しかし、あてずっぽうの予想は外れて、その時間帯は来客が多く、駐車場も探すのに苦労した。

 クルマの数の割には診察の順番はわりと早く回ってきた。28日分の飲み薬、塗り薬を処方してもらう。薬局に行く頃には雨になっていた。

 飲み薬は朝4種類、夕1種類がある。これをきちんと飲むのは大変そうなので、1包化してもらっている。朝4種の薬、夕1種の薬があの硬い薬品包装硬質ビニルから取り出されて、ひとつの袋に入っているのだ。

 これを忘れずに飲むのが大変。以前は、薬カレンダーのようなものに分けて入れてみた。日々の薬を入れておくビニルの部分がめくりにくいということで、母がイライラしていた。
 
 次の工夫は、日々の薬をひとつのビニル袋に入れるようにした。ビニル袋には日付の紙が入っている。今日の薬であれば、18から31、1から22と書いた小さな紙を袋に入れる。これに1日分の薬を分けていれていくのだ。

 28袋を私が用意して、日付を書いた紙を確認して、部屋に並べる。この中に日々の薬をいれるのはお母さんにやってもらっている。この作業が大変だ大変だと言っているが、これぐらいはやってえや。

 いつだったか、この紙片の数字が日付だと理解できずに、1から順番に並び変えてしまったことがある。これは数字ではなく、日付だからといっても何のことか理解できぬ始末。

 あれこれいらいらしながら、なだめながら薬を分けてもらう。毎日はその日のビニル袋を取り出して、お母さんに自分で飲んでもらっている。それが理解できなくなったら、見切れないよ。

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