2024年10月19日 (土)

10月19日 先輩友人Mさん撮影のチャンス到来か

90歳の母と同居するようになって益田での生活が始まった。しかし、当地で友人との付き合いと言えるものはほとんどなかった。当然中学校時代、高校時代の同級生がたくさん益田に住んでいるが、例のコロチンのせいで、飲み会や集まりに出かけることはまったくなかった。

私はもともと社交的なほうでもなし、友達は少ない。

益田でずっと暮らしていた父は、仕事のつきあいや知人も多く、地域での役割も果たしているのでそれなりの人脈が多かった。葬式の香典もたくさん集まっている。父の亡くなった歳よりはるかに若い私にそれだけ香典は絶対にあつまらない。
いっぽう母の方はそれほど社交的とも言えず、気性も少々荒っぽいところがある。

母の行動規範、態度、気性については、近所の人たちが表現しにくそうに言っている場面もいくつかあった。母が苦手に思っている人は、私も苦手に感じることがある。

そうは言っても、益田で暮らすようになると、私の行動範囲、責任範囲というものを意識しなければならない時が出てくる。

母が苦手に思っている人に対しても誠実に明るく接していかなければならないし、実際にそんな行動もしてきた。人に間にたってもらって関係修復までもっていったこともある。わたしなりにつきあいの範囲はひろげてきたつもりだ。

近所の先輩Mさんは、大阪在住だが、毎月二週間程度益田に戻って山仕事をされている。数十年以上も前から気になっている存在であった。単赴任介護が始まってすぐのころ、思い切って彼に声をかけてみた。山仕事の弟子にさせてくださいと伝えた。それから時々話をしてくださるようになった。

毎月スケジュールして近くのレストランで昼会食するようにもなった。彼が書いているブログで、私のことを友人だと紹介してくださったときはとてもうれしかった。

山仕事のこと、墓じまいのこと、介護のことなどいろいろ相談できてとてもよかった。

あるとき、私がスマホの入ったカバンを海岸近くに置き忘れた。単身赴任先でスマホを失うなんて大変なことになる。そのかばんを犬がくわえて持ち去りでもしたら、私の生活はとんでないことになる。暗くなると私の視力は極端に落ちてしまう。夕方暗くなって、電話がないので、彼の家に直接駆け込んで助けをもとめたところ、気持ちよく一緒に探しに行ってくださった。もう、感謝感謝である。

私も彼のような生活をしてみたいと思っていた。月に一度益田に帰ってきて、山仕事、農作業っていいじゃない。私の場合なら、Youtube動画の撮影、編集三昧、いいじゃない。私の自由になる土地もある。好きに改造できる家もある。対象となる地域行事、風景たくさんある。山陰道鎌手保存会に行けば、古文書だって読める、いいじゃないかと思っていた。

4年間も益田に生活したのに、なしてそれができなくなったのだろう。私は彼より若いし、立場的には彼とほとんど変わらない。なのに、私ができかなった理由はなんだろうか。

熱意の欠如か。眼の病気のせいか。わからない。それにして残念でしかない。

彼には私のYoutube動画に登場してほしいと思っていた。先輩にあたるので少し遠慮があった。
19日の会食の後、山陰道の工事現場を見に行きたいと彼から言われた時、チャンスと思った。動画に撮らせてください。番組に出てくださいとお願いしてみた。了解もらった。絵コンテを書いて、セリフも考えた。マイクロホンも自由電しておいた。

しかし、その日は朝からひどい雨で、工事現場に行くのは無理になった。私はカメラを持たずに彼を迎えにいった。

ところがなんと、会食中に晴れてきたのだ。もちろん工事現場に行ってみたが、カメラの持ち合わせがない。ああ、なんという痛恨のミス。どんな時でもクルマにはカメラと三脚を積んでおくべきだ。悔やんだね。

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撮影ができなかったのがあまりに悔しかったので、会食から帰り道、下種まで行ってみた。万寿大津波到達伝承地のひとつである下種のイワミ水のあたりに行ってみた。下見のつもりだ。近いうちにカメラと自動回転雲台、マイクを持ってこよう。益田に逗留できる日はそんなに残っていない。

2024年10月18日 (金)

10月18日 父の日記、手帳を焼いた

昨日、裏山の道を歩いたとき、あることが気になった。今朝、新墓に行く道に行って我が家のイノシシ除け塀を点検した。道には栗のイガがたくさん落ちていた。今年は栗が豊作か。これではクマで出てきそうだ。

塀の一か所が1メートル巾ぐらい倒れている。直しておかなければならないだろうが、そこに近づくにはそうとうの草刈りをしなければならなそうだ。その時間的余裕がない。実家売却の期日が迫っている。

いったん家に戻って、近所の家の柿の樹を6本根元から切り倒した。切った後の幹、枝、実は持ち帰った。クマが心配になるような実の付き方だったので、家の人に言って切らしてもらった。

益田にいる間に片付けておきたいことがまだまだある。父が50歳のときから30年以上書き続けた7冊の日記と十数冊の手帳を庭で焼いた。家族や勤め先、地域のことを実名で毎日書いている。その存在意義は私が今読み込んでいる古文書の村上家乗となんら変わらない。石見国美濃郡田舎のサラリーマン昭和平成の生活が詳細につづられている。歴史的価値は高いと思う。しかし、家内の一言が秀逸だった。「人が読めないものは古文書ではありません」そうなんです。悪筆でだれひとり読めないのです。AIよ、早く発展してくれ。そうすれば読めるようになるに違いない。しかし、今は誰も読めません。

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しようがない。でも、私には躊躇があって、日記1冊、手帳1冊を助けてしまった。広島に持ち帰る。どうするかあてはない。なんのことはない、燃やせるゴミとして広島で出してしまうのだろう。

2024年10月17日 (木)

10月17日 仏壇じまい、墓じまい

いよいよ仏壇じまい、墓じまいの当日。晴れて青空がでている。すがすがしい秋の朝だ。10時始まりの予定だったが、西楽寺の御院家さんはちゃんと気を使って早すぎる到着ということはない。このあたりは慣れておられる。

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座敷に上がってもらい、挨拶、お茶もそこそこに法要を始めてもらう。今日は行事が多いので御布施は最初にお渡しした。忘れてしまうよりはいいだろう。

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座敷の隅に設置しておいた自撮り棒に乗ったGoProを気づかれたようだ。今日参列できなかった、母にみせてやりたいのでとか説明しておく。

お経は短く終わった。焼香して合掌して一連のものは終わり。仏壇周りの抽斗や箱などを点検してもらった。てのひらサイズの小さな骨壺があった。父の骨だろう。これも今日西楽寺に運んでもらって納骨堂におさめてもらおう。母の法名を記した封書が見つかった。仏壇中にあった、板の過去帳はいままで見たことがない。冊子体の過去帳とは少し内容が違っているようだ。念のため私が広島に持ち帰ることにする。自治会から母がもらった敬老祝いの封筒がでてきた。2万円入っていた。広島で老人ホームに入っている母に届けよう。

経本や数珠、お盆などの始末をお願いした後、母の今後について少し話をした。もし、広島で具合が悪くなった時、どこで、どんな手順で葬儀するか、案を示してもらった。広島で老人ホームに教えてもらったお寺に葬儀限りの付き合いでやってもらうか、益田に戻って益田の葬礼会館でやってもらうかなど、いろいろ話をきくことができてよかった。なかなかこういう話を落ち着いてやっておく場がない。そのときはきっとバタバタになるので、考えておくことは長男としては重要なことだ。

そうこうしているうちに私に電話がかかってきた。登録のない電話番号だが、出てみるとクレジットカードセンターだという。履歴にない海外のレストランから引き落としの請求が5件も来ている。覚えがあるかどうかと聞いてきた。もちろんそんなものない。クレジットカードの不正利用が疑われるので連絡が入った。
私の本人確認の質問が数件あった後、今のクレジットカードを利用停止にしてもらった。停止にしてあたらしいカードを発行しなおすという。新しいカードの利用については私がやれという。その口座に紐づいているETCカードはそのまま利用できるという。

おおっ、私のカードの不正利用がカード会社の機転でなんとか被害を免れたようだ。履歴にない怪しいところからの請求は、いったん確認してくれるので助かる。お礼を何度も言って、電話を切った。

仏壇じまいの最中にとんだハプニング。広島にかえったら、面倒がはじまると思うと少し憂鬱になる。


12時近くなってしまったが、歩いて墓に上がる。石材店の人は仏壇じまいには参加せず、この墓地でひとりでずっと待ってくださっていた。ありがとうございます。見知らぬ場所で不安だったでしょうに。

お経をあげて、墓から骨壺を取り出してみると、骨壺は3つあった。ひとつだけだと私はずっと言い張っていたが、3つあった。一つは青い塗の壺だったが、残りふたつは素焼きの壺であった。蓋を開けてみると骨の見た目が少し違う。墓地を改装したおりに集めたものだろう。

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骨壺3つは石材店さんに運んでもらうことにした。

西楽寺さんは自分の車でそのまま戻られて、私たちは若干の準備をして、西楽寺まで行った。

西楽寺の納骨堂は今年の3月に完成したものだ。真新しい。私たちが中に入ってみるのは初めだ、都屋の棚を見るのも初めてだ。重たい石の扉が付いている。周囲の環境もいい。これなら安心して、野村家の新しい墓地となるだろう。

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家に帰ると、不思議な気分だ。裏山の墓地も墓じまいしたので、野村家の墓地ではなくなっている。家の仏壇だって、仏壇はあるものの、仏壇としての機能はなくなっている。もう単なる家具にすぎない。

仏間の鴨居に飾ってある3枚の遺影をおろす。祖父母の写真、父の写真、ごめんね。出来の悪い長男でこんなことになってしまった。
父の写真を外したとき、写真の裏にあった小さなものが落ちてきた。見ると小さな白いクルマの模型チョロQだ。あった。こんなところに。
父が入院して、クルマが運転できなくなったとき、さびしいだろうというので、私が買ってきたものだ。葬式の後、その模型がどこに行ったのかわからなくて、私の妹がずっと気にしていた。どこに行ったのかわからない、不思議だと言っていた。その日の夜、見つかったことをグループLINEで妹たちに報告しておいた。

この日の夜、ご飯を炊いた。しかし、オッパンをあげるべき仏壇がない。ああ、なんちょうことだ。

実家売却のために家の中をすっきりさせようということで、壁時計をはずしたり、母が使っていた食器を片付けたり、家の中がどんどん品薄になっていく。母は元気にしているんだよ、それなのに。

今回、母は同席させずに、母の弟にも告げずに、やってしまった。これでよかったのだろうか。

仏壇の前のふすまを閉じる。遺影はおろして押し入れに積み上げてある。床の間に六字名号も外してしまつた。
その座敷のふとんをしいて、寝る。イエかの音がしたので、蚊取り線香をつける。仏壇のお線香ではない。

2024年10月16日 (水)

10月16日 明日の仏壇じまい墓じまいの準備

明日の仏壇じまい、墓じまいの準備をする。作業するのは広い家で年寄りふたりきり。私と家内のみ。それはそうかもしれない。大家族で大人数ならば、家じまいなんてことにはならんだろう。次に渡すべき家族がいないからこその家じまいなのだ。そうはいっても、今回は親戚に声をかけていない。遠方に住んでいるから、ふだんそれほどのつきあいをしていないからという理由にはなりにくい理由付けをして、自分たちだけでやろうとしている。

まずは仏壇じまいの準備。しまうとは言っても野村家の祭祀を終わらせてしまうわけではない。野村家の祭祀はこの後、益田市西平原町の西楽寺でやっていこうと思う。いいように考えれば新居に引越しだ。

仏壇に生花を飾る。棚のほこりを簡単にはらう。御院家さん用の紫ざぶとん、我が家に到着直後に座わってもらう座布団を用意する。紫の座布団は前々から準備していたが、もうひとつの座布団は家の中を探してしまった。なにせ、家じまいのためにいろんな家財を整理処分してしまっている。もう使わないであろうふとん、敷物、大量の座布団は燃やせるゴミとして益田市クリーンセンターに自己搬入してしまっている。ふと思い出して二階の押し入れに座布団が残っていたのでそれを使うことにする。この家にはざぶとんはたくさんあった。家で祭祀をすることを想定してたくさん準備してある。お母さんが買いそろえていったものだ。

お茶、湯飲み茶わん、お盆を確認する。玄米茶を出すわけにはいかない。法要は短いだろうから、茶菓子はいらないだろうと思い準備していない。

線香、ろうそく、経本の類は御院家さんが持ってきてくださる。数か月前におじさん家の仏壇じまいを思い浮かべる。

礼服の点検。御布施の準備。仏壇じまい、墓じまい、納骨堂への納骨に際して、いくらの御布施がふさわしいか。相談するところがない。額のことをぐずぐず悩んでもしようがない。さっと決めて、次の作業にとりかかるしかない。私の気持ちで決める。誰かに評価されるわけではない。

おっと、忘れてはならないのは、西楽寺御院家さんへSMSでリマインドしておくことだ。前日に確認しなかったばかりに西楽寺さんの到着が遅れた法事があった。たった一度の不手際でこちらが慎重になってしまう。今ならリアルな会話をせずにSMSで送ればいいので、気がるのにリマインドメールだ。

外から仏間に上がってもらうときの靴脱石(くつぬぎいし)を用意する。コンクリートブロックを数個組み合わせて即席のものを作る。

次は墓じまいの準備。明日は石材屋さんが来てくださることになっている。墓石の撤去処分は、実施日未定だが、墓じまいの法要には立ち会ってくださるという。骨壺取り出しとかで出番があるらしい。

家から墓地までの経路が草伸び放題になっている。これを歩いて登るのに支障が出ない程度に草刈りしておかねばならない。

直近では1か月くらい実家を留守にしていた。そのために周囲の草が伸びまくっている。今年は残暑がずっと続いたためか、草ぼうぼうだ。

墓への道、特にオオダンと呼んでいる畑地まわりは大変だ。金属パイプ製のてすりを金属棒でたたいて、音をたてて進む。けものがでてほしくない。刈払機のエンジンかけて、回転数をあげて草を刈っていく。草が丈が高いし、密集しているのと、茎径が太くなっているのでなかなか思うように刈ることができない。仕上がりが少々みっともなくても目をつぶることにする。

途中、高さ3メートルほどの柿の木の枝が不審な折れ方をしていた。近所のガキが登って枝の根元から折ってしまったようだ。やれんのう。

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墓地周囲の畑地も草が伸びている。こまめに刈ってきたつもりでも、草はすぐに繁茂してしまう。都会っ子の私には山林、畑地の管理は無理だ。

墓地の周囲をごくごく簡単に草刈りする。最後に生花を飾る。こんな時ではなく、普段から花を飾るようにせにゃあ。と思う。線香は点じなかった。この段になって火の元が気になってもたいへんだもの。

この墓地は昭和56年ころに父が祖父死去のおりに改装したものだ。昔の自然石を積んだ石塔群の墓をなんとなく覚えている。父がせっかくきれいにしてくれた墓地なのに、わずか40年で野村家八代目の不肖息子が閉じてしまおうとしている。

2024年10月12日 (土)

10月12日 老人ホーム入居後の正月はどうしよう

来年のおせち料理はどこに注文しようかなと考えたら、気が付いた。おかあさんはもう老人ホームなのだ。家でおせち料理出す場面がないのだ。

今年の正月は総菜をスーパーマーケットで買ってきてごくごく簡単におせちとした。三人だけの正月だった。

あれからばたばた。ついに母を老人ホームに入れ、実家は道具を片付け始め、来週には仏壇じまい、墓じまいをすることになっている。なんということだ。

実家では母が使っていたベッドにはふとん一枚のっていない。母が家に帰ってみたいと言ってももう、あの家はなくなりつつあるのだ。今現在誰も住んでいないので、家は傷みつつあるにちがいない。

ああ、もうしわけないことしたなあ。

そう、正月をどうしよう。

そういえば、もう門松を作ることはないんだ。せっかく覚えたのにね。母にも喜んでもらえたのに。

正月には外泊したいと言うかな。今私が住んでいるところはせまいし、お客様用の部屋もふとんもない。前に進むしかない。

2024年10月11日 (金)

10月11日 広島の身の回りも整理する

益田の家ばかりでなく、広島の家の中も少しずつ片付けをしている。4年間の単身赴任介護生活のものを広島に持ち帰ったら、大変な量になってしまった。

私自身も2年後には引越しを考えている。身の回りのものを早く処分しないととんでもないことになってしまう。

髪は白くなったけど、白い紙があまりに多い。自家製本をすることを覚えたものだから資料がぎっしりとなって重い。古文書の予習ノートもずいぶんたまっていた。このあとネタとして使わないものはばらして、資源ごみにした。嘉永六年分はこれから読むし、読むのをYoutube化するので保存しておく。

パンフレットや各種資料のコピーなどなど、制御用マイコン関係もこの際全部捨てることにした。図書館学関係も徹底的に捨てることにした。これからこれらをネタにして自分の発表物とすることはないだろう。このあと自分のネタとして使わないものは捨てることにした。

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写真のネガフィルムも捨てた。昔のデジカメ、腕時計、携帯電話は、小型家電として東区区役所に持って行った。キーボードが4枚もあった。

売る時にあると高く売れるだろうと思ってとっておいた外箱の捨てたすてた。

データバックアップ用の640MBのMOがたくさんあったけど、物理的に壊して捨てた棄てた。DVD,ブルーレイも表面に傷をいれて捨てた。データバック保存用に外部記憶ディスクを使うのはだめだ。その読取装置がいつまでもあるとは限らない。MO読取装置も保管しておいたが、接続できるパソコン、OSがない。

これは少々無理をしてでも内蔵ハードディスクで保存するに限る。これから簡単にバックアップできる。将来使わないだろうと判断したデータについては、なんら物理的なゴミを発生させずに処分できる。ハードディスクに保存しておけば、データ読み取りに関してはずっと安心だ。そういえば入退館数を3.5インチのフロッピーディスクに保存していた時期があるが、それはもう読み取る手段がない。

ビデオについては、作品をDVDビデオとして保存していた。パソコンに光学読取装置があるからといって、これを再生できるわけではない。

高価なPowerDVDというソフトを入手して、DVDビデオのデータをmp4化した。自分が作ったビデオなのだから、著作権保護がかかっているわけではないのに、簡単にはmp4化できずに、有料ソフト入手ということになってしまった。

mp4化したとは言え、これはそのままYoutubeに上げるわけにもいかず、簡単な再編集をして、体裁を整えて、アップロードしてみた。

20年前の動画がアップロードの大義があるのか疑問だったが、それが少しでも認められるものを選んでアップしてみた。さあ、どういう反応があるかな。

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https://www.youtube.com/channel/UCLM6bbWbuXx0JKj7LYYgelQ

2024年10月10日 (木)

10月10日 家じまいしようという人はめずらしくない?

益田市で家じまいしようという人はめずらしくないようだ。そのいずれも大変なのだろうと思う。解体業者にやってもらおうとしたら、数百万円以上の費用がかかるだろうし、墓じまい、所有する土地の売却等、面倒なことが目白押しだろう。

まずは益田市の「空き家バンク」に申し込むことを考えるといい。益田市のホームページを見て、他の物件を参考にし、申込書を書いてみるといい。ある程度要件がかたまってきたら、担当係に行ってみるといい。親身になって対応してもらえる。

不幸にも「空き家バンク」対象としてもらえなかったら、地元の不動産業者に賃貸、売却を相談してみるといい。空き家バンクの担当係で業者を紹介してもらおう。地元であったり、知人友人のつてがあれば話をしてみよう。

私の場合はハトマークに広告を出してもらった。

https://www.hatomarksite.com/search/zentaku/bukken/5102820167

自分たちが高齢の親と一緒に住み続けることができるのがいちばんだろうけど、それができないのであれば、次の人に使ってもらえればこれがいちばんうれしい。

ガシャンガシャンやってつぶすのは実につらい。

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2024年10月 4日 (金)

10月4日 仏壇じまい墓じまいの前にやっておくこと

ぼやっとしていたら、仏壇じまい墓じまいの予定日が近づいてきた。

やっておかなければならないことがある。これまで我が家の歴史などというものに関心がなく、ほったらかしにしてきた。これじゃあイカンというので、泥縄的に調べ始めた。

仏壇前にある過去帳。これはスキャナーで取り込んでPDFファイルにして、書いてあることはテキスト化した。一番古い記述は明和7年(1770年)6月29日 梅幼童女 。なんと江戸時代半ばだよ。

家の裏山にある墓地、墓石の刻面を読み取っておこうと思ったが、これが意外と難しい。

直射日光のある日は撮影向きではないので、曇りの日を待った。カメラと三脚を持ちあがって、9つある墓石の刻面を撮り終えた。

墓石は立て込んでいるので、3面がきれいに撮れるわけではない。ご先祖様にはお騒がせすることになったが、墓石をぐるぐる回してカメラの方に向けて動画におさめた。

動画を家のパソコンに入れて、編集した。これによって刻面を読み取ってみたが、そう簡単ではない。

文字が傷ついて壊れていたりして読み取れないものがある。これは困った。墓石撤去の前にもう一度墓地に行って、全部丁寧に撮りなおさなければならないと考えている。

家系図を作るのを目指したが、よくわからないのがある。

私は親からご先祖様のことをほとんど聞いていない。おしえてもらったのだろうけど、まじめに聞かなかったのだろう。

入手可能な戸籍は手に入れている。これもテキスト化しようとおもったが、読めない文字などもあって手こずっている。

過去帳に書いてあることが全部ではない。誤記入がないとも限らない。そして石塔の文字も全部正しいとはいえないかもしれない。そんなことをあれこれ紙に書いていると、時間ばっかりかかってしようがない。でも、今やらにきゃあ、解析の手段がなくなってしまう。

老人ホームに入所している93歳の母に聞いても、昔のことはよく覚えていないというばかり。もう、他には親戚いない。

我が家では誰も家系図を作ろうとしなかったのだろうね。そして最後の最後になって、私がこのざまだ。しかたない。

今回調べたことはYoutubeの動画として発表しておきたい。明和から令和の今年まで250年の間に鎌手の歴史や古文書に登場したかもしれない。後世の人がなにか調べてくれるかもしれない。そのためになにか作品にしておきたいね。

2024年9月22日 (日)

9月22日 鎌手中学校同窓会、近況報告のネタを席上で考えた

売買中古一戸建ての情報を出した。

掲載して、その日のうちに照会があったらしく、さっそくに内見のお客様がおいでになった。事前に家の中を片付けたが、それでも十分には片付けきれない。人様に見てもらうにはもってきれいにしなきゃあとは思うが、簡単に片づけれるものではない。

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今日は正午から鎌手中学校の同窓会があった。毎年5歳刻みでやっているが、今回は70歳記念というわけだ。

65歳記念同窓会は、60歳記念の同窓会に参加したメンバーのうち、ムラッけのある男子たちが広島開催でやりますと大見えを切った。が、広島地区の幹事たちの力及ばずで開くのを飛ばしてしまった。申し訳ないと思いつつ、今回堂々と参加する。

乾杯の音頭の後、いつものように各自の近況報告が始まる。孫自慢、病気自慢、年金生活報告と続く。どれも面白いのだが、ささらないなあ。さて私は何を報告しようかと。考え始める。順番に当たってるわけではないので、私の発声までどれだけ残り時間があるのかわからない。ちゃちゃっと話の要点を拾い上げる。こういう一瞬はなぜかうれしい。

皆が聞いたことのなくて、おっと思わせる話題考える。私は小学校四年生の時に他校に転向して行った女子の話題を取り上げた。うん、これはいい。小学校五年生の遠足の時、みんなから離れてその子に会いに行って、何も言わずにあっただけで帰ってしまったというような話にまとめた。

結果的にはあまりウケなかった。まっ、いっか。

会食は2時間半飲み放題コースだったようで、12時始まりの14時半にはお開きになった。9月下旬の日曜日だから、外は十分に明るい。

会場の外で何人か、ちいさなかたまりになっていた。私は二次会にはゆかず、さっと手を振って、益田駅に方に向かった。

土田行のバスは、30分後だったので、近くのキヌヤスーパーに歩いて行った。夕飯の食材を少し買って、再び益田駅まで歩いて帰った。あっ、バスが出た。また30分待たなきゃあならない。益田駅前ホテルの周りで秋風にふかれるのを楽しんだ。みんなと二次会に行けばよかったかなとも思ったが、カラオケじゃあいやだもんねとおもいながら、ぼーっとした時間を過ごした。

穏やかな、ゆつくりした時間が過ぎる。これでいい。明日23日は家のまわりをもうすこし片付けて、24日には車で広島に移動する。荷物を全部持って行けるわけではないが、ほとんどを積み込んだ。今回はパソコンまわりを積み込んで、メインサイトを広島に移動しようと思う。

4年間の単身赴任介護生活。パソコンが鎌手大浜と広島の2か所に存在した。大浜のパソコンをメインにして、更新分をUSBメモリにコピーして、広島サイトと手動で動機をとってきた。

更新分のコピーをしくじると、正のデータを失う可能性があったが、正は鎌手大浜であるということを明確にしてきたので、しくじりはなかった。よしよし。

2024年9月19日 (木)

9月19日 母が使っていた布団を広域クリーンセンターに搬入。母は老人ホームで健在なのに。

母が老人ホームに入居する直前までに使っていた布団を軽自動車に積み込んで益田市のクリーンセンターに搬入した。もちろんお母さんは元気ですよ、なのに燃やすゴミで出すなんて、なんという親不孝なのか。もう家には帰ってこれないと宣言しているようなもの。ああ。

直前まで使っていた食器類や野良着、農作業用靴まで処分、そんなことをしていいものかと迷ったんよ。元気に回復して再び益田に戻って来るやもしれないのに、その僥倖を長男の私が自ら100パーセント消し去っていいものか。

そりゃあいけまいでと思いつつ、お盆過ぎて1か月経過しようというのにまだ熱夏のまま。そんな空の下、クルマを走らせる。老人ホームが意に添わなかったら帰ってきてもええけえと説得して広島に行ってもらったのは、ウソになってしまう。

墓じまいの見積もりのために益田市内の石材店2社に来てもらった。先祖伝来の墓地を見てもらう。私の父母が50年前に、それまでの古い墓をやり替えて新たに作った墓地なのに。石材店の若社長にきれいないい墓ですねと言われても、私としてはちっともうれしくない。父母が気合入れて作った墓を長男の私がもうおしまいにしようとしている。ああぁ。いかんです。

今週の日曜日に中学校の同窓会がある。みんな70歳だ。少しずつかけていくのが悲しい。5年ごとに開催している同窓会、この会の前は広島地区で開催しますと大見えをきって終わったが、私の実力足らずで開催できないままに、予定をひとつ飛ばして70歳同窓会になってしまった。これもいかんなあ。

今日世話人に電話した。今回は20名参加とのこと。しかし、ひとりの物故情報があった。とてもショック。今夜夢に出てくるかもしれん。