2022年6月23日 (木)

6月22日 Youtubeで「鎌手の桜8選」に着手した。取材だけは終わったのだが、編集が終わっていない。夏至になろうというのに桜でもないだろうけど、編集をやりおえておきたい。

 ちょっと涼しそうだったので、さっと着替えてオカに上がった。今日の刈払機はナイロンコードがついていた。正確に言うとナイロンコードカッターが付いていて、ナイロンはほとんどなくなっていた。

 補充のためにぐるぐる巻いていたら、日差しが強くなって、汗だくで作業した。チップソーにしようかとも思ったが、せっかくだからナイロンコードを巻く練習がてらやろうと思った。

 気持ちのいい風がときおり吹いたが、それほど強いものではなかった。汗だくになって17時までかかって草刈りした。暑かった。

 明日は母を歯医者に連れていく。石見津田駅のパン屋に行ってみたいと言っていたので、歯医者の帰り道にでも連れていってみよう。

 Youtubeで「鎌手の桜8選」に着手した。この春は、取材だけは終わったのだが、編集が終わっていない。夏至になろうというのに桜でもないだろうけど、これが終わらないことにはハードディスクにmovファイル、mp4ファイルが残ったままになる。はやく片付けたいので、季節おくれになっていいので、手掛けておこうとおもう。
 
 そのうちに、村上家乗安政二年を読むに着手しよう。今度は安政二年5月なので、今の季節に近い。やりがいがあるだろう。

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2022年6月22日 (水)

6月21日 母は道具をあちこちに置きっぱなしにする癖がある。鍬、鎌、包丁など刃物であっても通路や野外に置きっぱなしにする。私が特に怖いのは、杖をあちこち構わず立てかけて立ち去ってしまうことである。背の低い母は低い位置に杖をたてかけている。納屋の中で何度ひやりとしたことか。

今朝ねぼけまなこでトイレから帰ってこようとしたら、座テーブルにむこうずねを強烈にあてて、たたみの上に転んでしまった。脛から血も出た。昨日居間のこたつを母が片づけていた。こたつが座テーブルに変わって部屋の中心に鎮座していたのに気づかなった。

母はひとりぐらしが長かったせいか、いろいろな道具をあちこちに置きっぱなしにする癖がある。鍬や鎌など刃物であっても。特に怖いのが杖をあちこち構わず立てかけて立ち去ってしまっている。納屋の中で何度ひやりとしたことかあったか。

母がひとりで生活していたときは平気だったかもしれない。若いときだったら平気だったかもしれない。でも今は危ない。部屋の照明がまぶしいなどといって暗いままに動き回っていることがある。不機嫌になろうともそのたびに口頭注意しようと思う。貼り紙はだめじゃろうけど。

2022年6月21日 (火)

6月20日 お母さんは家事をやってくださる。玄関や床の間、仏壇の花飾り、いつもきれいに飾っている。仏壇線香立ての灰の片づけ、過去帳の日めくりちゃんとやってくださる。壁カレンダーの月進行もお母さんがやってくださる。

 お母さんは家事をちゃんとやってくださる。玄関や床の間に季節の花をちゃんと活けている。仏壇の花もたやさずきれいに飾っている。仏壇線香立ての灰の片づけ、過去帳の日めくりちゃんとやってくれている。月が替わるとカレンダーをちゃんと月進行してくれている。

 食事の片づけとお米を研いで電気炊飯器にセットしてくれる。私が寝坊したときはスイッチもいれてくれる。お茶を紙パックに詰めてくれるのもお母さんの仕事だ。

 洗濯もしてくれる。自動の洗濯機なので洗剤の量は洗濯機が判断してくれる。洗濯槽のくず取りネットの掃除と、洗剤の補充は私がするがそれは大した仕事ではない。

 こたつを仕舞うのもお母さんがやってくれる。今日居間のこたつが片付いた。ようやく。もっともこたつはお母さんの占有。私がそれに入ることはない。

 玄関土間をほうき掛けするのもお母さんの仕事だ。台所のほうき掛けもしてくださる。

 庭の草取り、生垣の剪定もしてくださる。家の前にある里道の扉の施錠もお母さんがしてくださる。雨が降り始めたとき、雨水桝の蓋を取り外してくれるのもお母さんだ。

 家庭ごみや資源ごみをまとめるのもお母さんの仕事だ。くみとり便所の手配もお母さんの仕事だったが、これは水洗化が出来たので、その仕事はなくなった。

 仏事や神事を仕切ってくれるのもお母さんの仕事だ。道具を引っ張り出してくれる。ただお盆提灯の出し入れ、床の間掛け軸の季節掛けは私がしている。

2022年6月20日 (月)

6月19日 広島県安芸太田町松原の松原大歳神社に立ち寄った。そのとき財布には小銭が828円あった。いままでだったら、百円玉以外の28円をおさいせんするのだが、今回は、小銭全部出すということで、828円を投げ込んだ。

 広島から益田に移動。普通は下道の朝日が丘団地から191号線を通って戸河内まで行くのだが、今日は日曜日割引だし、気分転換に山陽道、広島道、中国道を通ってみた。日曜日だというのにクルマは少ない。

 最近の話だが、前期高齢期を元気よく過ごしますというので、私は6個の宣言を自分のYoutubeチャンネルで行った。

①見た目重視に取り組みます
②なりたい自分になったつもりで行動します
  「村上家乗研究家」になったつもりで
  「グッドカーライフ研究家」になったつもりで
③自分の写真を撮ります
④パソコン、スマホのレベルを2段階あげる 毎日更新ブログも始めます
⑤神社を見たら賽銭する
⑥日常事を大事にする

5番目の神社おさいせんは、具体的には、通行する経路で遭遇した神社にはたちより、そのとき持っている小銭はぜんぶお賽銭します」というものだった。今回の帰省にあたり実行してみた。

 まずは6月17日、益田から広島に向かう時、広島県安芸太田町松原の松原大歳神社に立ち寄った。そのとき財布には小銭が828円あった。いままでだったら、百円玉以外の28円をおさいせんするのだが、今回の宣言は、小銭全部しますということだったので、828円を投げ込んで、2礼2拍手1礼した。その日の行動はまだあったので、小銭なしではちょっと困った。

 そして今日、いくつかの神社に立ち寄ってみたが、おさいせん箱のないところはしようがない。今回記録しておいて、それらには立ち寄らないことにする。
今日はおとといに続き、広島県安芸太田町松原の松原大歳神社、益田について遠田八幡宮に立ち寄った。
 
 今日のおもな行事は山陰道鎌手保存会の総会に参加することだった。総会の跡、講演会ということで、公民館に保存されていた昭和50年ころの鎌手駅周辺の風景について、あれこれみんなの記憶をたどる場があった。

 参加の面々が思い思いにしゃべりなかなか収拾しない。会長はゆっくり穏やかに話をまとめようとされているのが印象的。この会には新入りの私は、このような場で果たす役割を見出すことができなかったが、まあ、個人的なYoutube作品のヒントは得られた。

2022年6月19日 (日)

6月18日 古文書解読同好会を終わって帰ろうと思ったら、自転車のカギが見えない。ズボンの左ポケットに入れたはずなのにない。カバンの中から荷物を取り出してベンチの上に並べてみたが見つからない。

 いやあ、今回の広島帰省は短かった。わずか2泊。間の一日の大半は古文書解読同好会に使った。明日はもう益田に戻らなければならない。ゆっくりする暇がなかった。

 同好会ではふだんになく人と話が出来たのが良かった。会が始まる前に、同人誌昭和・平成・令和第5号を受け取った。同好会に通う不思議な先輩がやっておられる同人誌だ。どういう経緯で私も投稿するようになったのかよく思い出せない。今の時代に手作りの同人誌とは変わっているなと思っていたが、実際に作ってもらうとやけにうれしい。投稿が楽しみになり、出来上がりがとてもうれしい。

 会の最初に諸富さんが前に出て、自分の出された本を説明しておられた。いい本を作られた。今日申し込めば本日限り1000円だということだった。Youtubeネタにぜひ使わせてもらおう。
 
 今日の読み範囲のところは、広島藩の家老が人事改革を上申してそれがうまくゆかず、しかも日記を書いている彦右衛門自身も状況をよく理解できないままに記述しているようだ。解説してくださる先生は関心のある事件だったらしく説明が凝っているが、あまり詳しくない私は状況をなんとか理解しようと焦るのだが、やはり難しいと感じた。

 いつもの平穏な日記、例時に出勤し、弓術に出て、馬場に出て、問安に行って酒が出たというような日常であれば、気持ちよく読めるのに、いざ事件がおきると状況が複雑になってくる。理解に時間を取ってしまう。大変だ。

 くたびれて、終わって、さて帰ろうと思ったら、自転車のカギが見えない。ズボンの左ポケットに入れたはずなのにない。カバンの中から今日の荷物を取り出してベンチの上に並べてみたが見つからない。

 情報プラザの管理室にいって落とし物の届はないか聞いてみる。ないという。県立図書館が開館しているので、そこのカウンターでも聞いてみた。みっともない。失せ物を尋ねる高齢者は多いのだろうなあ。自転車を置いて帰っても、明日は広島を立たなければならないから受取りにこれない。といっても、鍵がないことに変わらないから今、なんとかしなきゃあ。

 次第に夕刻になってくる。判断せよ。いやいや、あきらめずに探してみよう。同好会のあった部屋の鍵を借りて行ってみようか。自転車置き場から会場までの通路を歩いてみた。

 警備の人らしき人に聞いてみた。「ああそれなら、あれかもしれない」その言葉うれしかった。玄関ホールまで案内してくれて、掲示板のしたに小さな青い鍵が置いてあるが、それではないかと言ってくださる。あったあった。誰か床に落ちているのを見つけて、目立つところにおいてくれたのだろう。ありがたい。

 みっともない年寄りをしてしまった。最近こういう状況の失せ物が少なくない。気を付けているつもりでも時々ある。私の母も物が亡くなったとよく言っている。似ているなんてのんきなことは言っておれない。
 

2022年6月17日 (金)

6月16日 母に薬を常用するなとは言えない。母がそうしたいと思っているのかどうかわからないが、私が薬の常用はなんとなく嫌だから飲むなとはよう言わん。


 今日は近所のかかりつけ医院に行った。月に一度血圧を下げる薬を出してもらいにいくのだ。

 母は私のクルマに乗るとき後ろの席にさっさと乗ってしまう。安全性の上からも助手席に座ってほしいのだが、当然のように後ろ席に行ってしまう。最初の内は安全ベルトを私の取付させようとしていた。そりゃあいけんでえ。私はあんたの召使ではない。自分で安全ベルトを締めてもらうようにしている。うまくセットできたかどうかは私が確認している。デイサービスのクルマに乗るときも安全ベルトぐらいは自分でつけてほしいと思うが、それは施設の方針に従う。

 いつも行く医院は時間予約ではない。待ち合わせが少なさそうな時間帯を予想していくのだが、なかなか思うようにならない。朝いちばんは人が多いだろうし、10時直後は老人送り迎えの人たちの都合で多いだろうと予想して、我が家を9時20分ぐらいに出るようにしている。予想が当たるときもあるし、そうでないときもある。

 今日はやけに受診する人たちが多かった。待合室で1時間近く待った。待つのにくたびれた。

 診察は簡単だ。いつも通りの薬を処方してもらう。胃酸の働きを抑える薬、血圧を下げる薬、コレステロールを低下させる薬、血液さらさら、睡眠導入剤の5種と筋肉の痛みをとる軟膏か張り薬。こんな薬を毎日飲んでいて大丈夫なんだろうかとちと心配になる。

 私も体調不良の時病院に行くと、すぐに薬が処方される。それを飲んで症状がおさまるのならいいが、飲んでいる間だけ症状で出ないようにする薬というのはなんとなくこわい。血圧を下げる薬も2度ばかり処方されたことがあるが、結局飲まなかった。かと言って母に薬を常用するなとは言えない。母がそうしたいと思っているのかどうかわからないが、私がなんとなく嫌だから飲むなとはよう言わん。
 
 筋肉痛を抑える張り薬も毎日のように使っているようだが、体に悪影響ないのだろうか、今日院外処方薬局でそのことを聞いてみたら、かぶれが出なければ大丈夫ですよと言っていた。でもね。

 91歳。今飲んでいる薬を止めたら、からだがもたなくなるのかもしれんもんね。私には知識も勇気もない。

2022年6月16日 (木)

6月15日 母は浴室内で大きな音を立てる。踏み出しが不便な個所があるのなら、追加の工事をしなきゃならないが、何もしちゃあおらんと言いはる。しまいには言い争いになりそうだ。音がしたときに見に行くこともできず。

 半年くらいかけて家のリフォームをした。トイレの水洗化、段差のあるところを解消、浴室の改装など、かなり快適になったのではないかと思う。
 
 母は足が思うように動かないときがあるらしく、段差のところで、ドーンと大きな音を立てて踏み出すことがある。リフォームが終わってもその動作をしている個所があったので、追加工事で踏み台を取り付けた。

 ところが今でも大きな音を立てる場所がある。浴室内でいったい何をしているのか、大きな音を立てる。踏み出しが不便な個所があるのなら、追加の工事をしてやりたいのだが、何もしちゃあおらんと言い出す。音がしたときに浴室のドアを開いて確かめればいいのだけど、母と言えども裸になっている踏み込むのはかわいそうだ。そりゃあちょっと出来かねる。

 何度注意しても音をたてて入浴しておられる。しんぱいでならんのだ。こんど妹が泊まりにきてくれたら、それとなく調べてもらおうと思うのだが、コロナっちのせいでなかなか実現しない。

2022年6月15日 (水)

6月14日 村上家乗安政二年を読むの4月分をアップし終えた。やり残しのひとつとして鎌手の動百科シリーズの「古代山陰道」を作ってみた。アップに躊躇レベル。

 「村上家乗安政二年を読む」の4月分をアップし終えた。やれやれ。思ったより時間がかかってしまった。工夫しすぎ、凝りすぎで時間をとられた。途中から気が付いて、シンプルイズベストで作り上げた。

 さあ、やり残しがいっぱいある。NWGNネタで作りたいのもたくさん残しているし、鎌手の動百科シリーズも残っている。とりあえず「古代山陰道」を作ってみた。

 武部健一『続古代の道』を読みながら古代山陰道を紹介しているもの。道の駅キララ多伎での収録も済んでいる。今日は『続古代の道』を読んで動画にした。さあ、作ろうというのでひととおり作ってみた。

 Youtubeにアップする段になって、ちょっと待ち。アップにふさわしい質になっているどうか、ちょっとちゅうちょしてしまった。

 アップして市場の反応を見るのも手ではあるが、その前に自分の想いを確認したい。これを都野書房の商品として世に問うていいものかどうか。

 けっこういい出来のような気もする。構成も映像も未熟な気がする。さてどうしたものか。明日まで迷ってみようか。

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2022年6月14日 (火)

6月13日  母とふたりの毎日、日々の食事。小さなテーブルにふたり。食事は私が作るんだけど、私は上座に座る。昔みたいにご飯のお替りがあるわけではない

 かぼちゃの実が出来ているとお母さんが言う。私は昨日ずっと畑にいて作業したのにまったく気づいていない。今日言われるままに下の畑に行ってみる。よくわからない。お母さんが畑を見下ろす庭から場所を教えてくれる。なかなか見つからない。ようやくソフトボール大のぼっちゃんかぼちゃの実を見つけることができた。収穫して食べるのはいつのことだろうか。

 母とふたりの毎日、日々の食事。小さなテーブルにふたり。食事は私が作るんだけど、私は上座に座る。昔みたいにお替りがあるわけではないので、配膳したものがすべてだ。たのしい会話なんていつもいつもあるわけではない。

 単身赴任以降にこの家をリフォームしたので台所や、食事をするところはずいぶん狭くなった。ふたりで向かい合わせで座っていると私から見ると左手に流し台がある。準備したままの乱雑な流し台を目の前にして食事することになる。

 この家は大きい家なのだけど、台所に関しては安アパート台所まわりみたいな雰囲気になってしまった。ま、それはそれでいい。91歳の母と67歳の長男が一緒に暮らしている風景しかない。

 ふと、なにかの拍子に、今の状況は決してひもじい思いなんかしていないということを言語にした。いっぱいのかけそば話。年の暮れにいっぱいのかけそばを幼い子供3人ですすりあう」なんて情景はまったく想像できない。このお母さんのおかげでひもじい思いをすることなくのびのび育ったのだ。

 私は目の前にいるお母さんの体内から生まれてきた。不思議な感情だ。本で読んで得た事実ではない。絶対正しい真実だ。それはすごいことだ。否定できない。

 その事実をどうしたらいいか。私には確信がない。私の確信なんてちっぽけなものだ。誰も確認できない。

 配偶者のほうがまだ正しさがある。なにかの条件で出会った、それをいろいろ検討できる。しかし、目の前の母親というのは、絶対の真実で、どんな理屈をもってしても否定できない。それを日々確認させ、確認の深度を深めさせていくの今の毎日なのだろう。私は男だ。覚悟はすべて引き受けるしかない。

2022年6月13日 (月)

4月12日 鎌手公民館に行って古文書を読む会に参加してきた。幕末期海上に出没する異国船に対応しなさいという回状を読む。村上家乗と違って太字なのがいい。読めないけど。

 午前中雨が上がったので、ジャガイモの収穫をした。昨年植えたのはキタアカリとメークインだった。キタアカリの収穫は済んでいたが、メークインがまだだった。地上部はすでに枯れていた。期待して掘りあげたが芋の数は少なかった。肥料が足らないのだろう。今日種まきを予定していた夏大根は畑を準備しただけで、午前中の作業は終わった。

 午後は鎌手公民館に行って古文書を読む会に参加してきた。幕末期海上に出没する異国船に対応しなさいという回状を読む。村上家乗と違って太字なのがいい。読めないけど。

 会が終わった後、土田浜、北浜に行ってみた。海浜植物が何か咲いていれば、鎌手の動百科ネタにしようと思ったが、あちこちで草刈りにしてあり、野に咲く花は少なかった。残念。

 三隅のキヌヤに行って、夕飯のおかずを買って帰る。家についたら、着替えて畑に出た。夏大根の種まきだ。なんとか終えることができた。収穫はいつぐらいだろうか、とても楽しみ。